1987年鈴鹿サーキット |
1987年は特別な年だったね。 F-2から見守っていた、中嶋さんがF-1にステップアップして都に戻って来る。 是非、その勇士を撮りたい。 初めてのGP開催なので、通常の走行より一日早くサーキットにマシンが現れる。 「大学生で良かった」「社会人だったら鈴鹿に行ける訳ない・・・。」 大学学園祭の準備で週末は忙しいから、木曜日のフリー走行だけ見に行く事にした。(学生だったので入場券代金も痛かった) かなりの混雑を予想して、前日の真夜中から出発。 三重県の鈴鹿サーキットまでは、大阪からそう遠くはない。 もう昔の記憶が残っていないので、何時頃サーキットに到着したのか、覚えていない。 その頃は、最大でも210ミリの望遠レンズしか持ち合わせていなかったので、どうしようか迷ったが、 ウワサの通り、どうしても300ミリ以上の望遠レンズを持参せよ・・・とのこと(某雑誌によると)。 持つべきものは後輩。お金持ちの後輩にミノルタα7000を貸してもらえる事になった。 もちろん300ミリ望遠もだ。 でも、現地に到着してみて、我々の心配が余計な物だったことが判明。 レンズの事ではない。混雑の事だ。 結果は「ガラガラ」。 後年に撮影地を求めて、ダッシュをかまさないといけなくなる人気になろうとは、この時は予想もつかなかった。 「なんや、人気無いな」「めっちゃ空いてるやん」「焦って損したな」 この様な会話が何度も交わされたのは言うまでも無い。 初めてのサーキット観戦で、撮影場所も直前号雑誌で勉強しただけ。 これでは、どうしようもない。 仕方ないので、有名なコーナーである「逆バンクの立ち上がり」に陣取る。 しばし休憩。 天気は良く、とってもピクニック気分である。 大学生だからではないが、必然と酒盛りの雰囲気。 近くでビールを買って、つまみも無く飲み続けていた。(空いているから出来る技である) さあ、そろそろエンジン調整音が聞こえ始め、フリー走行まで1時間もあるのに、撮影準備に取り掛かる。(気が早い話だ) そのピットから聞えて来るエンジン音が、やけに下半身に響く。 この後、このエンジンサウンドが、我々の尿意を促す事になろうとは・・・。 4バール時代のターボエンジンは、膀胱に刺激を与え続け、大事な撮影中なのに尿意を促す。 「さっきトイレに行って来たたばかりやのに、なんでや?」 (ノーマルアスピレーション時代にこの様な事はなかった。多分混雑で酒盛りどころではなくなったのだろう) 撮った写真の中で、気に入った映像はそう多くない。 理由は、やはり300ミリでは太刀打ち出来なかった・・・と言う事だ。 おまけに初期のオートフォーカスなので、F-1の動きに付いていけない。 結局、マニュアルフォーカスに変更したのは言うまでも無い。 (それ以来、2001年になった今でも、オートフォーカスのカメラを信じていない) 木曜日だけで、鈴鹿を後にした。 週末は学園祭だ。準備せんと・・・。 おっとええもん(良い物)売ってるやんけ! 鈴鹿サーキット内のF-1グッズ販売店を見つけてしまった。 中嶋さんのレーシングスーツのレプリカ(綿100%。炎には強くない)、9800円。 おっと傘も。 皆、まっきっ黄色。流石はCAMEL。 えーい買っておけ! 学園祭でそのレプリカスーツを着て「イチビッタ」のは言うまでも無い。 それ以来、小生の大好きなCAMELカラーの服を揃える事になる。 翌年、1988年7月には、日本を離れて冒険の旅に出る事になる。 そこでCAMELというニックネームをもらうことになる。 |
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