2003年鈴鹿サーキット 
 
12年ぶりの鈴鹿。突然決った訪問に、興奮を隠す事が出来ない。
南半球で、しかも観光業で働いている我々が、この10月の中旬に日本いる事など、通常では不可能な事である。
次男坊が生まれてくれたのが2月だったのが、今回のラッキーな訪問を可能にしてくれた。子供は小さすぎると飛行機に乗せない方が良いでしょうから。

さて、序章はさておき、早速準備編からお届けしたいと思う。
幾ら日本人だからと言っても小生は日本には住んでいないので、重い装備はかなり控えたい。
しかし、小生の撮影機材は古い。化石の領域に入っていると言っても過言ではない。故に、同じサイズの望遠レンズでも、恐らく最近のレンズよりも2倍は重いのではないだろうか?
かと言って、必要なレンズを持って行かないのは命取りである。しかし、結局持参したレンズを2本も使わなかったのだが・・・。

ニュージーランドの我家から家族4人で一路大都市オークランドへ向かい一泊。翌朝の起床時間はなんと午前5時。
少しでも節約を心がけているので、オークランド空港までの交通に乗合シャトルを選んだ。
乗合だから、「空港まで直行」ではない。故にお迎えの時間も予想より30分も早い。

長男坊が2歳4ヶ月なので、大人の団体包括運賃の75%(昔は67%だった)の運賃を払っている為に、許容荷物重量は大人と全く同じになった。
今回の旅で、荷物の心配がいらなくなったのは彼が2歳になったお陰だった。もちろん、それだけ高い運賃を払ってはいるが・・。

お陰で重量だけで5キロもある500ミリレンズは楽勝でスーツケースに入り、確実にクッションで包んでおいた。

先に家内の実家である神奈川県に入る為に、レンズの入ったスーツケースは成田空港の宅配会社に依頼して、大阪の実家に送っておいた。今回のJR乗り放題旅行では、デジカメ(カメディアC-700UZ)のみでの撮影を決めていたのであった。


9月13日にニュージーランドの家を出発し、鈴鹿に向かう10月9日までに、家族に風邪を引く者もおらずに順調である。
毎年誰かが必ず風邪を引いていたのだが、今年は大丈夫だった。特に小生の家内はホリディ旅行の度にパーフェクトに風邪を引いていたからだ。



さあ、10月9日だ。今年はスライドフィルムを10本しか買わなかった。しかも、初めて使うコニカクローム・シンビという安いフィルムだ。理由は簡単だ。「節約」と「試し撮り」を実行する為だ。
節約は勿論お金の事。相変わらず為替と物価の違いは、我々ニュージーランドドルを給料に貰っている人達には、日本旅行はとてつもなく物価の高い国だからだ。
7000円のホテルでも、消費税の事を度外視したとしても、NZ$100.00だ。これは、我々にとってみたら7000円は7000円ではなく、100ドルは10000円の価値がある。

一方「試し撮り」は、デジカメにテレコンを取り付けての撮影に挑戦しようと思っていたからだ。デジカメの記憶媒体はスマートメディアだが、128MB+64MB+64MB+32MB+8MB=296MBという5枚のスマメを持参していたので、あとは大量の電源を確保するだけで、かなりの撮影を敢行出来ると踏んでいたのであった。
結局、新規に買った2100mAhのニッケル水素電池4本セットで、殆どの撮影を終えてしまったのだ。その他に3セットのニッケル水素と1セットのリチウムも準備はしていた。でも使う事が無かった。
何処かの掲示板の書き込みで、かなり頻繁にデジカメの電源をオフにしておくと、電池の持ちが格別に長くなったと書いてあったので実行に移してみた。正解だった様で、電源の事は途中から全然気にならなかった。


さて、時が来た。2003年10月9日。
前日の夜までに荷物のパッキングは殆ど出来なかった為に、9日当日の朝から行った。
荷物は恐らく20キロに達するだろうとは思っていたが、実際に背負ってみてビックリ。たかが20キロだから大丈夫だと思っていたが、余りにも久しぶりに20キロを背負ったので、身体の鈍りを覚えた。
初めてニュージーランドに来た頃は、20キロ位ではへこたれていなかった。屈伸も平気だったし、かなりのスピードで走ってもいた。
それがどうだ、15年後の今、自分の身体がかなり自分の身体ではないかのような錯覚にとらわれた。情けない。

しかし、小生にはこれしかない。車もなければ、お金もない。最初は原チャリで鈴鹿へ入るつもりだったが、荷物の量が膨大なのと、天候次第では大切な機材を濡らしてしまう事も予想された為に諦めた。
となれば、最後の手段はやはり鉄道。
ということで、事前に調べておいたルートで伊勢鉄道の鈴鹿サーキット稲生駅に入る事を決行した。

さて、そのルートだが、普通の関西人なら、こう考えるだろう。
「近鉄」を使う。

ところがこれより安くて、早い手段が見付かった。
大阪北部に北摂(ホクセツ)と呼ばれる場所がある。高槻や茨木、摂津市等が入り、かなり京都に近い。そこで、京都を経ての旧東海道を辿って行くのが、一番安くて、時間も早い事が分った。
それは摂津富田/京都/草津/柘植/亀山/河原田/鈴鹿サーキット稲生という、恐ろしいローカル線を乗り継ぐルートとなる。皆様も時刻表を広げて御覧になってみて下さい。
小生も最初は鶴橋から近鉄に乗って♪・・・とか思っていましたが、費用も一割ほど高く、時間も変わらないので却下となりました。
中には、京都へ出て、そこから近鉄に乗る・・・♪というルートを弾き出した仲間もいましたが、これは論外。


では、荷詰め完了。一人用テントに、食料とラジオに寝袋。液体燃料と携帯コンロ。そして撮影機材。
これには500ミリレンズにフィルム10本とレンズ類。三脚にモータードライブとその電源。

早速荷物を背負って、そしてもう一つはカメラ機材なので胸に背負う。その恰好といえば、やはりエベレスト登山。駅という駅で、皆さんの視線が沢山集まって来ました。日本では、その様な日常光景がないからだろう。ここニュージーランドでは珍しくもなんともない。

午後5時までに鈴鹿サーキット南コースのテント広場へ入らないと、受付が終了してしまう。昼前に市バスで出発する事にした。


いざ家を出発してみたものの、荷物が重い為か、体力をドンドン奪われていく。おまけに荷物の横幅も災いしてか、背負った荷物が乗り物の入口に当たって、乗り降りが出来ない程。カニ歩きで進んだのは言うまでも無い。

高槻市営市バスで摂津富田駅へ。
各停で高槻駅へ。
新快速に乗り換え草津駅へ。
ここからは各停でゆっくりと柘植(ツゲ)へ。
乗り換えて亀山へ。
そして関西線の河原田(カワラダ)駅へ行くつもりだが、10月1日のダイヤ改正でつなぎが悪い。伊勢鉄道は頻繁に列車がない。
改正前だと10分以内の乗り換えが可能だったが、列車がない。
急遽「津」方面に行く列車の運転手に尋ねると、「津」から伊勢鉄道に乗り換える方が連絡が良い事が判明。
こういう事もあろうと、少し高いが「津」経由のルートを指定しておいたのだった。

稲生駅では小生以外に3人の女性が下車した。明らかに荷物は少ないのでホテル滞在だろうが、それにしても前日の木曜日から出勤とは・・・と褒め称えていた。
しかし、サーキットが近くになるにつれて(当然歩いている)、この若き3人の女性の行動が読めて来た。
そうなのだ、彼等はレースを見る為に前日から来ているのではないのだ。

目的は・・・。

そう、皆さんの予想通り。
目当てはドライバーに会う事。

これはすごい。
レースを見てアドレナリンを出す人がいれば、小生の様にファインダーを覗きながらアドレナリンを出す人もいる。
彼女たちは、レース前日のドライバーを一目見る為に集まっているのだ。
サーキットに近い女性は羨ましい・・・と思った人もいるだろう。

当然、パドックゲートで彼女達はドライバーを待ち伏せする為に左へ曲がっていった。
小生は、まだ先が長い。何故なら、南コースに小生の宿となるテントを張るからだ。 
 








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