2010年 トルコ・イスタンブールパーク・サーキット
 

いやはや、隔年でのF-1観戦・撮影を希望していたとはいえ、まさか現地に飛べるとは思いもよりませんでした。
F-1ファンの皆様、お元気ですか?ニュージーランド南島のF-1キチガイ、ラクダおやじであります。


そもそも、ニュージーランドドルは世界の標準貨幣には入っていないので、勿論トルコ国内でも受け付けてくれる所は皆無と言うローカル貨幣であります。そのお金でF-1を見に行くのは、相当やりくりをしないと難しい事を皆様にお知らせしておきたいと思います。


しかし、しかしですよぉ、興味本位でNZ国内の旅行サイトで、格安航空券の検索をしてしまった所から、この物語は始まります。えっ、そんなのは要らないから、早く本題に入れって?
まあそこは聞いてやって下さい。


実は今年の帰省は昨年と同様に3週間ほどにし、国内で営業も兼ねたJR乗り放題旅行程度の予定でしたが、結局50日間にもなってしまいました。


そこで話の続きなのですが、「何故このように長くなったか」から参りましょう。
ある日の事、色々な航空機サイトで安い航空券が販売されていないかを探していた時の事。昨年ムカついたカンタスも仕方なく探していましたが、どれも面倒で高くて、これでは元が取れない・・・と半ば諦めかけておりました。


そこで上記のNZ国内の旅行会社サイトに日本行きの情報を打ち込んでみました。やはり、2000ドル前後もしています。これでは、昨年の安かった代金にとは雲泥の差です。そこで何を思ったか、突然「今年最後のGPになる可能盛大のトルコはイスタンブール」を目的地にして打ち込んでみました。しかし、やはり最低でも2300ドルもして、しかも日本を経由しないので論外でした。


まあ暇だったので、色々と日付を変えて打ち込んでいたら、NZからイスタンブール往復が1945ドルと表示されたではないですか。また驚いたのは、その次の安い料金が500ドル以上も高い2500ドル台の料金になっています。しかも1945ドルの行程を見ると、復路に東京が含まれているではありませんか。


「こんなの何かの間違いだろ」と思って、日付を変えると、やはり日本を経由すると2500ドルに達します。
「どうしてこの組み合わせだけ安いのだろう・・・」と思い数日経過。しかも、その航空機券はアジアとNZ間がエアーニュージーランドなのに、アジアとイスタンブールがアエロフロート・ロシア国際航空なのです。


そこで業界の長い私は???
「どうしてスターアライアンスに属するニュージーランド航空と、スカイチームに属するアエロフロート航空が組んでるのだろう???」と、かなり信憑性を疑っておりました。


しかし、この検索後は「もしかして、トルコは行き時」と思い始めてしまいました。F-1も最後なら、貨幣がユーロになれば尚更行き難い国になってしまうのは間違いありませんからね。そこで急遽、トルコ行きの可能性を探る事にしました。


そうしたらどうでしょう、物価がかなり安くて、F-1のチケットも最終コーナースタンドでさえ、3日間券が250トルコリラ(約15500円)、宿は地方だと1000円台で2つ星に泊まれる事が判明。一気にトルコ行きの可能性が上がってきました。


また航空券も、東京でのストップオーバーを1ヶ月ほどに長くした特定日でも、85ドルしか高くならないことが判明。その後は、トルコの下調べが続いたのは言うまでもありません。


結局、日本行きの航空券と何ら変わりない2030ドルで航空券が手に入る事になり、トルコ国内の物価からも、ここは出撃となったのです。勿論、節約はしなければならないので、条件の良い宿泊先を決めるのに、相当時間を費やしましたけど。


そして分かった事ですが、トルコGPは「サーキットでのキャンプ場がない」ことです。オマケに、イスタンブールパーク・サーキットは、イスタンブールから東に55キロも離れており、もし旧市街地に滞在すれば、ボスポラス海峡というアジアとヨーロッパを二分している渋滞は当たり前の橋を通らなければなりません。


また過去にトルコGP訪問者で、このバスに3日間合計乗車時間が15時間だったという書き込みを発見。当然、海峡の東側に位置するアジアサイドにホテルを取りたいが、何と金額の高い事よ。また、街自体が世界遺産だという旧市街地まで毎日観光に来るのも大変。


そこで考えたのが、とりあえず宿は旧市街地で、橋は渡らない・・・となれば、そうボスポラス海峡を20分足らずで、しかも1.5リラ(約92円)で渡ってくれる船に乗り、アジア側の街であるカディキョイから出るサーキット行きバスに乗れば・・・と思いつく。

船は1時間に3本は出ており、少し遅れても問題は無い。サーキット行きのバスも、満席になれば常時出発すると書いてある。


チケットの前売りはあったが、サーキットのサイトから購入しようとすると、とてつもない手数料がかかる事が分かり、途中で中断。チケットは現地で買うことにした。トルコGPはとにかく庶民には高嶺の花だそうで、誰もF-1にあの様な大金を出す人はいないのだそうだ。


さて、条件は揃いました。F-1の後に寄るエーゲ海沿岸の遺跡、奇岩カッパドキアへの航空券とレンタカーの予約も済み、一路イスタンブールを目指す事になりました。経由地はなんと4ヶ所で、実に40時間の大移動となります。経由地はクライストチャーチ、オークランド、香港。ここまではニュージーランド航空で、それからはアエロフロート・ロシア航空でモスクワをも経由します。


日本に寄らないので、備品を手に入れるのにお袋さんに手伝ったもらい、ここまで事前に送ってもらいました。念の為に「地球の歩き方」も。


ところが出発日前日になると、天候の事が心配になってきました。前夜はいつも通り徹夜で荷造りをし、正規の予約である夕方4時の最終便まで寝るつもりでいましたが、当日は大荒れの天候となり、視界が不良になるだろうとの予測が出来ました。

拠って、徹夜のまま空港に行き、スタンバイで午前中のオークランド直行便に乗ることを決意。空席があれば、その飛行機に飛び乗るつもりでクィーンズタウン空港まで。運良く12時20分発のジェット機に乗る事が出来ました。


これで乗換えが一つ減ると思っていた矢先、オークランドでは23時15分発の香港行きフライトまで9時間もあることとなり、どの様に過ごそうか大変でした。展望デッキに行ってみたり、何かを食べてみたり。結局、荷物を持って空港で7時間を過ごそうと思った矢先、念のためにチェックインは未だ出来ないのか聞いてみたら、24時間以内ならいつでもOKと、業界人も知らなかったサービスがあることが分かりました。


お陰で荷物を預けられて、身体も楽に。地球の歩き方を見ながら勉強かと思いきや、既に休暇が始まっているのだから・・・と昼間からビールを飲んで、ウハウハ気分。しかし、自分は徹夜をしていた事に身体は正直に。フードコートの座席で一気に眠たくなり、数時間眠ってしまったようです。NZも安全ですな。


そして、22時30分。そろそろ出国手続きにと立ち上がり、やや遅れて香港に向かってプッシュバックしました。お陰様で機内では熟睡でした。


さて香港空港ですが、予定ではここで荷物を受け取り、再度イスタンブールへ向けてチェックインをし直すつもりでいました。理由は簡単です。NZからイスタンブールまでスルーチェックインして、果たして本当に荷物が出てくるのか心配だからです。


しかし、私の荷物はいつまで経っても出てきません。「もうここでロスバゲ(Lost Baggageの略)か」と思い、係りの方にタグを見せようとしたら、何とタグには香港・モスクワ間のフライト番号に、モスクワ・イスタンブール間のフライト番号まで書かれているではありませんか。

私はオークランドでチェックインをした時に、香港までのチェックインでお願いすると念を押しておいたにも関わらず、担当者はイスタンブールまでのチェックインをしてしまったのです。


これだからNZ人女性は怖い。自分の考えで動いてしまい、確認しようとしない。典型的なNZ女性に捕まってしまった瞬間だったのです。


私は焦りました。まずは歯磨きセットを取り出せないし、着替えもしたかった。40時間の長丁場なので、そんな計画がありました。そして、最も怖いのがモスクワ空港での「荷物をズタズタにされる事件」を知っていたので、歯磨き、着替え終了後に、ガムテープでスーツケースをグルグル巻きにする予定だったのです。


しかし、歯磨き、着替えを含めて、それらは全く出来ない事が確定してしまいました。
仕方ありません。歯磨きは空港内でセットを買って、着替えはしませんでした。またスーツケースを開けられる心配が大のモスクワですから、香港でのチェックインで荷物を探してもらおうと思いましたが、何時間かかるか分からないとの回答を得ており、ここまできたらどうにでもなれ・・・と諦めました。


しかし、スーツケース内には、2本の望遠鏡鏡筒とレデューサー、総額30万円近い撮影機材が入っています。これがモスクワで盗まれたら・・・と気が気できでありませんでした。
オークランド空港のチェックインを担当した女性のチョンボによって、こんな迷惑を蒙る羽目になってしまったのです。しかし、この出来事は、50日間にも及ぶ旅の中で起こるトラブルの序章に過ぎなかったのです。


モスクワへの機内で、ズボンのベルトお通しにいつもキーホルダーで取り付けている家の鍵が無いことに気付きます。モスクワ空港に着いて機内に誰もいなくなると、座席を剥がしてまで探しましたがありませんでした。どうも香港空港内で落としたようです。落とした場所は大体わかっていますが、これは着替えが出来なかった事によるものです。


そしてモスクワ空港。香港便は未だにFターミナルを使っているが、徐々にスカイチームの飛行機を新しいDターミナルに変更しているらしく、私は暫くFターミナルで無料の無線LANを使ってのインターネットを楽しむつもりでいました。しかし、モスクワでは直ぐにDターミナルへ移動させられてしまい、その担当者にDでは無線は飛んでいるのか・・・と尋ねたが、知らないの一点張りで調べようともしない


仕方なくDへ移動するが、ここからが今回のトラブルが徐々に大きくなってくるところです。またモスクワ、シェレメチェボ空港のDターミナルは人を人とも思っていない・・・ことを皆さんに報告しておきます


何があったかというと、6時間の乗継だったので、まずはネット環境を探すが、結局Dターミナルでは無料の無線は飛んでいないのだった。結局、この無線がターミナルの何処に行けばあるのかを探して6時間が過ぎた感じです。アホらし。


またDターミナルだけではないと思うが、その中に入っている施設、例えばレストランやパブ、ましてや免税店では一切外貨及びクレジットカードを受け付けないし、また両替カウンターも一切ない。これが分かるまで3時間くらいかかった。


そう、ミネラルウォーターの一本も買えないのである

英語の分かる空港スタッフに食って掛かると、親切な方はいるものだ。他路線のビジネスクラス利用の女性客が、コンプリメンタリーでもらったバウチャーを持っているが使わないのでプレゼントすると言って下さった。お陰様で水分の補給も出来、命を取りとめた感じだった。


この時点で、今回のツアーは間違いだったのではないかと思うようになり、早くロシアを離れたかったのは言うまでもありません。しかし、ロシアもアホやなぁ。海外からの乗り継ぎ客は俺だけではないだろうし、まさかクレジットカードも受け付けないとはどういうつもりや。水分不足で倒れる人が出てくるやろうなぁ。


実は今回のF-1撮影ツアーで最大の迷惑を蒙るのが、この「ロシア人」になろうとは、この時点では知る由もなかったのです。実はトルコGPのスタンドで、約10名のロシア人を敵に回して、たった一人でどつき合いを仕掛けたのです。


これがその原因となった写真の一枚です。何が起こっているかお分かりになりますか?
写真は、2010年トルコGPのスタートを撮影していますが、左右に写っているのは「ロシア国旗」です。


そう、約10名のロシア人が、何と最前列で自国の国旗を振りやがったのです。、しかも、畳2畳もありそうな大きなのが3枚もあり、その他の小さいのも含めて、その後方で観覧していた人達は、スタートの瞬間を見られなかったのです。


これにブチ切れた私は、このロシア人をしばくために、最前列に突撃し、片っ端から国旗を振りやがった野郎達に鉄拳を振りかざしそうになっており、言葉は完全に大阪弁でした


そのまま大阪弁でも良かったのですが、観客の皆様にも分かってもらうために英語に変更して、ぶち殺してやる!とまず一人目の胸倉を掴んで、一発御見舞いするところで、他の観客に羽交い絞めにされて静止されました。


もしそれがなかったら、多分一人目は入院かそれとも一生健康には生きられない身体になっていたのではないかと思います。


とにかくロシア人は、フランス人より最低である事をお伝えしておきます。


さて、先に邪魔なロシア人の話をしてしまいましたが、私はまだイスタンブールにも到着していないので、先を急ぎましょう。

結局、親切な方がプレゼントしてくれた金券のお陰で、私は水分補給も出来、そのままイスタンブール行きの飛行機に乗りました。因みにアエロフロートは機内でアルコールのサービスがありません。
これも、過去に馬鹿なロシア人が機内で酒に酔って暴行事件まで起こしているからだそうで、もうこの話を聞いて、ロシア人は敵とみなす事決定であります。皆様もご注意を。


そしてニュージーランド南島の実家を出発して、なんと48時間後のトルコ時間5月27日午前1時過ぎに、イスタンブール空港へ到着しました。

最初は朝まで空港で過ごして、午前4時から動き始めるという空港バスに乗ろうかとも思いましたが、早めにシャワーを浴びたいだろうし・・・と言うことで、ホテルの予約を入れておきました。


両替が出来る貨幣と言えば、少しの日本円だけだったので、ここはクレジットカードでキャッシングする事にしました。日本の銀行ATMでは読み取らないのですが、トルコでは大丈夫でした。無事、トルコリラを少し手に入れてタクシーに乗りました。ボッタクリのタクシーがいるとの事だったので、乗車前にホテルまでの道順を書き記した地図を見せ、料金はどれ位になるのかを聞いておきました。予想通りの金額だったのでOKを出し、午前2時過ぎに旧市街の安ホテルに向けて出発しました。


制限速度も良く分からない道でしたが、どうも50キロだったようです。しかし、運転手は100キロ以上で走っています。まあ真夜中なので、そんなもんか〜と、お金がかからないのを感謝しておりました。運転手はホテルの場所が良く分からないらしく、他のタクシー運転手に車を停めて尋ねていましたが、一度も来た事がない私でも、地図を見ながらだったのでアドバイスをする始末でした。ただ一方通行だけは、地図には書いていないのでややこしかったですけど。


お陰様で30分もかからないでホテルに着き、そのままチェックインしましたが、予想通り窓があっても、それは竪穴に面しただけのもので、景色など全くありません。まあ一泊、2400円なのでどうでも良かったのです。寝られて、ネットが出来て、朝食が付いていれば。


さて、この日は木曜日。午前5時頃には寝て、9時頃には起きてしまいました。竪穴からは天気も分かりませんが、どうも良いみたいです。拠って、一日しかない観光を頑張る事にしました。その前に無料の朝食です。まあ、ありきたりとは聞いていましたが、それでも組み合わせ次第では立派なものです。5泊もするのですが、毎日いけそうな感じです。そう言えば、朝食の写真を撮るのを忘れていました。


早速出撃です。翌日のサーキットまで行く道順を勉強しながらとなりました。


まずは庶民の足である市電に乗ってみる事にしました。それで終点まで行き、そこからフニクラーというケーブルカーにて坂を上り、サーキット行きのバスが出発するとされているタキシム広場に行ってみました。その前にジェトンというコインを買わなければなりませんが、一体何処で売っているかと見渡すと・・・。

ありました、これです。分かり安い表示でんなぁ。ここで初めてのトルコ語を駆使して購入・・・とか思いましたが、ちっとも思い浮かびません。浮かぶのはYou Tubeで見たトルコ語講座のきれいな女性の顔です。わっははははは。


とりあえず指をVにして、カタカナ発音でジェトンと言ってみると通じました。ジェトンは一つ1.5リラ(約92円で)これで、各路線の終点まで乗り放題になります。安いですね。



意気揚々とバス停探しを開始しますが、現地の方も分からないとの事。そんなに人気がないの?と思わず哀しくなってきました。「まあ明日は朝7時の始発前に来れば何とかなるだろう」と思い、その後は観光に出ました。

広場からの一番の大通りを歩いて、人を撮ったり、建物を撮ったり、古い市電を撮ったり。そしてたどり着いたのが、展望台ならぬ小さな塔。19時30分までしか開いていないそうで、夜景を諦めて昼間の景色を撮りました。


風が心地よくて、思わず何十枚もの写真を撮ってしまいましたが、夜景より昼の方が良かったと思いました。これはクィーンズタウンのゴンドラと同じでしたね。


まあ、そんなこんなでたった一日しかない観光は夜景撮影まで続き、夕食を食べ終えたのが24時という無茶振りでした。こんなハイペースで身体が持つのか心配でしたが、世界3大料理の一角を担うトルコ料理があれば、何とかなるだろう・・・とか、余り深く考えていませんでした。


さて、翌朝は観戦チケットを手に入れる為と、ボスポラスに架かる橋が渋滞しない前にサーキットにたどり付くために、午前7時出発のバスに乗るのが絶対条件だと思っていましたので、起床は午前5時45分でした。ホテルを6時30分には出発し、トラム市電とケーブルカーを乗り継ぎ、昨日分からなかったバス停へ向かいました。


バスは大変分かり安い所に停車しており、乗った瞬間に午前7時になりました。しかし、バスは待てど暮らせど出発しません。しかも、運転手以外にも数名の運転手が皆同じ服を着て何かもめています。どうも、地図を見ながらなので予想が付いたのですが、サーキットまでの道について話し合っているのです。

あーでもない、こーでもない・・・で、バスはとっくに満席なのに、結局出発したのは7時40分でした。運転手はとにかく橋を越えてくれたが、そこから55キロ先のサーキトの事は殆ど知らない様子でした。


数ヶ所のバス停でお客さんを拾うが、もう座席はありません。40分も遅れて、途中のバス停で待っていた人たちも不安だったでしょうね。車内は混みあっていましたが、まだ景色は見えます。

しかし、高速を降りてから、皆の予想が当たってしまいます。そう運転手は持たされた地図が、実際の道と違うと言い始め、何と途中で街の方向に戻り始めたり、歩いている人に尋ねたり・・・


最悪です。レンタカーでサーキット入りするつもりだった俺の方が道を知っていました。何万キロも離れたところに住んでいるのに。もしかして、トルコ人もNZ人と同じで無責任な奴ばかりかな・・・と思いました。


結局バスは車内の有志達にも助けられ、やっとの事でサーキットに着きましたが、この事件は今回だけではなく、6往復中4回で発生しました。道くらい調べておけよ・・・と思うのは、海外の我々だけではないはずです。まあバスが臨時便なので、レギュラー運転手ではなく、OBなどが借り出されたのではないかと思いました。


とりあえずサーキットに着いて希望の座席をピンポイントで購入しましたが、ガラガラなの自分の指定席ではない座席に座って撮影の準備を完了したら、もうフリー走行開始の10分前でした。そう、バスは約1時間45分もかかってサーキットに着いたのです。普通なら、1時間はかからないそうです。


天候は快晴。しかし、日差しは決して強くありません。青い空も霞んでいて、日本のようです。多分日焼け止めクリームは不要だと思いましたが、やはり3日間で一度も使いませんでした。


早い話、空気が汚れていて、太陽光線がちっとも強くないのが原因です。それを考えると、2008年のフランスGPは30分で死ぬほど日焼けをして、半ば火傷に近かったし、空が青かった。イスタンブールは、一体何が原因で空気が汚染されていると言うのだ?砂漠っぽいからな、きっとそれだろうと思います。


さあ、撮影の準備も万端。いつでもお越しやすでっせ。

最初の数十枚は、野鳥撮影の皆様の物真似で、AFボーグなるものを準備していきました。私はEDレデューサーも持っていたのでそれを取り付けて、ペンタのF AFリアコン1.7という、マニュアルレンズをオートフォーカスレンズに変えてしまうものも付けました。勿論カメラアダプターは、1点だけを削りショートさせておき、オートフォーカスは使える状況でした。


しかし、野鳥は追えても、F-1マシーンは終えませんでした。連写ではピンボケを連発し、やはりダメかということで、直ぐに鏡筒も長い方に、リアコンもA1.4Sに交換して、いつも通りのマニュアルフォーカスでの撮影に切り換えました。あれだけ減速している所なので、スピードはさほ高くないはず。しかし、フォーカスは付いて来れませんでした。


こうして、フリー走行の一回目は90分丁度で終わり、違う撮影場所を探してロケハンする事にしました。無料の朝ごはんを食べられなかったので、とても高価なサンドイッチ、確か15リラ(920円)を買って、飲み物は勿論ビール、これも15リラ(街中では4リラで飲める)でブランチとなりました。


このシルバー8スタンドは横に大変長く、反対側の終点は最終コーナーの奥まで続いています。サーキットはこのスタンド前でアルファベッドのWを描くかの様に3回も曲がりくねっており、何処からでも良い写真が撮れそうな理由で選びました。

3日券もたったの250リラで、約15500円なのです。しかし、これでも庶民には高すぎるそうで、このGPは年々空席が目立ち、上の写真の向かいに見えているスタンドは、座席を販売していません。何年か前は黒いシートを掛けていた記憶があります。


そこで撮影した写真達は、3ページに渡ってコチラに展示してありますのでご覧下さい。3ページありますので、ごゆっくりと。


金曜日の午後はスタンドの真下にある広場に、柵が重なっていない場所から撮影出来るエリアを発見しましたので、そこから撮りました。こんな感じです


この上半身裸のニーチャンの右手に奥と手前の柵に隙間がある事を発見。1000ミリ超の望遠なので、全く問題ないだろうと、ポルシェカップで確認。縁石でピンとも合わせ易く、午後はここで撮りました。

撮影していると、他にもぞろぞろとカメラマンが集合し始め、私の物真似をし始めましたが、皆のレンズでは柵が写り込んでしまうだろうなぁ。


23年前に初めて鈴鹿に写真を撮りに行った時と同じだったので、なんとなく懐かしい気がしました。そして、「この人たちは、我々日本人から23年も遅れてるんだなぁ」と思いました。観客の中にトルコ人らしき人は殆どいません。殆どが欧州からの人たちですが、欧州より23年も進んでいるなんて・・・と少し優越感もありました。


天気は例年通り良くて、今回だけは雨具の世話にはならないだろうと思っていましたが、本選の途中から小雨が振り出し、私の「結婚後のF-1観戦では100%の雨になる」というジンクスは継続されてしまいました。雨なんて降るはずじゃなかったのです。


それでスピードに乗れなかったトップ走行中のマーク・ウェバーにチームメイトのセバスチャン・ベッテルが追いついて接触。ファインダーを横切って車が飛んできたので驚きました。ビデオを見ると、タイヤ同士が接触していなくて本当に良かったと思いました。もしタイヤ同士が当たっていれば、セバスチャンは空を飛んで、我々の左手を飛び越えて、柵の向こうに消えて言ったに違いまりません。そこにはタイヤバリアなどありませんので、彼は命を失っていたかもしれません



 それ程の危険を秘めていた接触だったのです。ビデオを見てぞっとしました。セバスチャンは勇敢でしたが、インサイドを完全に取られたマーク・ウェバーには感心しませんです。


男なら、ここは引き下がって、次のチャンスを模索してもらいたかった。命あってのレースなのですから。


しかし、一瞬にして命を失う可能性が、今のF−1にもある事が良く分かりました。
私がそんなF-1にハマッテいるのは、男が命を掛けているからです。命を掛けて何かに没頭出来るなんて、男冥利につきると思います。


それと、ファインダー内に見える彼らの姿はどの映像よりも美しく、それを自らのシャッターボタンで一枚の画像に出来る・・・という行為に、私は完全にハマッテおります。48時間もかけて異国の地に長い重いレンズを持っていくのは、そのためです。今回はボーグの鏡筒が2本だったので、大変軽くて助かりました。あっ、そうだ。ボーグの担当者さんに、撮れた画像でも送ってみましょうかね。


さて、土曜日のセッションはシルバー8スタンドの反対の端まで移動し、最終コーナーに雪崩れ込む姿を撮ってみました。それと、最終コーナーを立ち上がる車を後方から狙ってみなしたが、撮った写真をPCで見ると、やはり迫力に欠けておりました。


この一枚は、一脚を使って車を追いかけていたので、何故か斜めになってしまいましたが、夢中でシャッターを押しているので、結果オーライであります。それにしても雲が出てきたので、とてつもなく暗い写真になってしまいましたね。


午後の予選は試しに流し撮りをしようと思い、予めYou Tubeで探っておいた、「第6ターン先の直線」に移動しました。トルコGPは外周道路に無料のバスが走っており、これに乗って移動しました。機材が重いので大変助かります。




そこでロケハンをして、時速250キロ以上で突っ込んでくる車を綺麗に流せる場所をと思いましたが、なんせこのレンズは絞りが無いので、シャッター速度を遅くすると、露出がめちゃ明るくなってしまいます。その点、絞りを別売りで買ってこれば良かったと後悔しました。それでも流し撮りでは、こんな感じで撮れました。


時速250キロと言えば、流し撮りのメッカ、鈴鹿のS字コーナーよりも遥かに速く、それにピントを合わせることも至難の業ですが、撮れた写真は真正面のものよりも感動が大きくなる事がありますので、皆さんも頑張ってみて下さい。

そう言えば、F-1日本GPはこれからでしたよね。聞いた所によると、「カメラマン席」というのがあるらしく、レンズの長さがある一定以上あると、一般スタンド内では曜日を限定して使ってはいけなくなるとの話も聞きました。時代は変わりましたね。私のボーグ望遠鏡は77EDUという種類ですので、多分この規制に引っかかってくるのではないかと思います。


しかし、撮れた写真は、その辺りの市販レンズとは比べものにならない位シャープですので、これからはボーグ以外でF-1を撮ろうとは思わないですね。


そして、2010年5月30日の決勝はなんと現地時間の15時から。それまでの疲れを一気に睡眠で補い、昼前にはバスに乗り込みましたが、相変わらずバスの運転手はサーキットへの道を知らない。途中でバスは一回で曲がれないほどの市内の急カーブにはまり、大通りに出てみれば、後続のバスが前にいるというあり様。



本選はレーススタートを真後ろから撮るために、階段に陣取り待ち構えていました。
次第に赤ランプは減ってき、2つが残る頃にはスタッフメンバーも車体から離れてのフォーメーションラップに入りました。タイヤを暖め、グリーンフラッグを迎える頃には、目の前にロシア国旗が何本もはためいているではありませんか。


まさか最前列で旗が振られるなんて前代未聞の出来事に、ブラックアウトの瞬間も撮れず、全車が1コーナーに消えて行った後は、鉄拳制裁をするために、ロシア人を片っ端から怒鳴っておりました。





このYou Tubeのサイトが、その旗振りを見せてくれていますので、ロシア人の馬鹿さ加減を垣間見てやって下さい。画面一番奥のスタンドでロシア国旗が何本も振られており、赤いライトが5つ点くまでの間が一番派手に振られていました。開始5秒辺りをご覧下さい。一瞬です。


この写真をみてやって下さい。右上に薄くPanasonicの看板が見て取れる位で、後はロシア国旗に邪魔されてしまっています


繰り返しますが、機内でウォッカの飲み過ぎで他の方に迷惑をかけ、緊急着陸等も日常茶飯事。国内での交通事故も酷いらしいです。


そう、彼らは知らないのです。常識など、子供の時から知っておかねばならないことや、これをしたら危ないなど・・・全く分からないのだと言います。


それが最前列で10名近くが大きな旗を振るという非常識なバカな行為を平気でする人種なのです。


まあ私も誰も傷つけずに済んで助かりました。殴っても意味のない奴ら相手に、牢屋にブチ込まれるのも馬鹿馬鹿しいしね。


最後にロシア人に言っておくが、この地球はお前達のものじゃない。それに早く気がついたらどうや。今度、こんな事に遭遇したら、その時こそ、お前ら死ぬ覚悟で旗を振れよ(笑)。


ていうか、唯一のロシア人ドライバーが出てきたらと思ったら、まだ何戦も残っているのに、既に期待もされていないそうやないか。来年以降にロシア人ドライバーがいなくなれば、こんな非常識な行為を目にする事もなかろう。清々するので、早くF-1界から立ち去って欲しいと思うね。


2年前のフランスでも同じような結末だし、どうして普通に出来ないのかね。こいつらは。馬鹿共目が!


この後、いつもの撮影場所に戻ったら、そこではフェンスの前で大きなロシア国旗が振られており、私に怒鳴られて後ろに消えていく馬鹿なロシア人がいました。「最前列で旗を振って、後ろの人のことを考えない」人種に、北方領土を返せといっても理解出来るわけがない。政治家の皆様、お察しします。こいつらに我々の気持ちが伝わるとは思えません。


その後は初めて本選でも撮影をし、ベッテルのスピンを撮影出来ました。これからは本選でもレンズを構えておこうと思いました。って言うか、次はもうないでしょ。家族を置いて一人で行っちゃだめでしょ。えっ、アジアのGPなら安いし大丈夫でしょって。実は韓国GPに行ってみたいんですよね(笑)。でもサーキットが遠いですよね。釜山から車の方が早いかな。


今回も最後まで読んで頂いて有難うございました。次回は何年後になるかは分かりませんが、レンズはBORGがいいですよ。この会社です。私の使ったレンズは77EDUという機種です。510ミリレンズですが、デジカメで焦点距離が1.5倍、リアコンが1.4倍ですので、合わせて1071ミリのレンズで撮影した事になりますね(フィルムカメラ換算)。


これなら、鈴鹿のS字や逆バンク、スプーンの突入や脱出での流し撮り、ヘアピンの突っ込みと脱出なども、大写しになりますよ。
ああ、俺も鈴鹿に行きたいなぁ(笑)。







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