2014年 オーストリア・レッドブルリンク・サーキット
 

皆様、御機嫌麗しゅうございます。ニュージーランド南島より数年おきに必ずF1を観戦&撮影しないと禁断症状の出るラクダおやじでございます。

さて今回は4年ぶりになってしまいましたが、南半球の旅行業が閑散期に入る5月下旬から6月下旬までの間に開催が決定しました欧州はオーストリアGPに出撃して参りました。

本当は2012年に初開催となるアメリカはニュージャージーGPに行く予定でしたが、ご存知の通りで資金難やその他ゴタゴタの事情で開催が見送られたので、2年おきに出撃したかったのではありますが、止むを得ず4年の時を経てF1を見に行く事になりました。

今回も単にF1だけを観戦することなく、周辺の観光とその撮影も行い、その道中にオーストリアを含める旅にしました。その模様は「旅の風景」のページでご覧下さいませ。クロアチアに入ってからの模様がご覧頂けます。

さて11年ぶりに開催されたオーストリアGPですが、最後の勝者は現在療養中の皇帝ミハエル・シューマッハーでした。当時はホンダのV10とトヨタのV10も出場していた時代で、その甲高いエンジン音が懐かしく思えます。

エンジン音は今年からV6ターボの時代に戻りましたが、回生システム等、とにかく複雑なエンジンパワーユニットとなり、そのエンジンサウンドは図太く乾いた音に変わりました。しかし、F1のエンジンに変わりは無く、耳栓が要らなくなったのは少し寂しいですが、目の前を高速で通過する車体を撮るのにはなんら影響がありませんでした。

そんなF1ですが、ニュージーランド(以下NZ)から45時間ほどかけて地球の反対側にある欧州に向かって航空券、宿の手配をする前に、なんと2013年11月から指定席スタンドのチケットを確保せねばならない状況に追い込まれます。

元々、このサーキットは周辺住民の大反対により長年レースが開催され難い状態でした。と言っても周辺に家など殆ど無く、一体誰が反対しているのか理解に苦しむ状況でした。それを飲料メーカーのレッドブルが買い取り、そして交渉でもしたのでしょね、徐々にレースが開催される運びとなってきた経緯があります。

最終的にF1を呼べる状況になり、レースファンの心に火が点いたとでも言いましょうか、一気にチケットに群がる結果となります。なんと販売開始3日で殆どのチケットは完売になり、小生もその瞬間を逃してしまいました。

結局、英国のチケット業者が割り増しで販売していた自由席券を約3割り増しで購入し年を越します。指定席券など全く残っていませんでした。

他のGPチケットはまだまだ残席があるのに、このオーストリアGPは例外となり、GP開催7ヶ月前には自由席を含む全ての座席が売り切れるという人気ぶり。周辺少数住民の反対が、こんなに多くのレースファンを困らせていた事実が浮かび上がってきたのです。

しかし、それ以降も大変でした。そうサーキット周辺に宿泊施設は殆ど無く、チームクルーでさえ電車で1時間以上もかかる離れた街に宿を予約しており、小生が宿を検索し始めた頃には、適当な宿が殆ど満室状態になっていました。

スタンドチケットだけならまだしも、宿も予約で一杯ときたもんです。「こりゃ大変や」と一度は諦めかけましたが、年を越してから状況が変わってきました。スタンドチケットは金曜日券、土曜日券といった指定席一日券が発売開始になり、宿も空きが出てきたのです。

宿に関しては2008年フランスGPで取った、「サーキット内テント泊」作戦も考えましたが、今回はユーレールパスを購入する予定だったので、近郊の街に宿を取っての移動作戦に決めました。






さてもうチケットを取ってしまったのですから、後は現地に赴くだけなのですが、年を越す前はオーストリア航空でアジアを経由しての料金が最も安く、師走に入ると値段も下がっていきました。

この分で行けば、新年にはもっと安くなっているだろうと思っていたのですが、そこは「6ヶ月前」という言葉を忘れており、12月の中旬を過ぎた段階で航空券が一気に数百ドルも値上がってしまい、それ以降は横ばいが続いたので、アジア経由なのか、アメリカ経由なのかをゆっくりと考える事にしました。

合わせて宿も決めていったのですが、やはりサーキット周辺はチームクルーなどに予約を押さえられてしまっており、空いているのは電車で1時間強のGRAZグラーツか、思い切って首都WIENウィーンかなといった感じでした。

まあこれもおいおい予約をして入れていくのですが、それよりも現地に赴く航空機券をなんとかしなくてはなりません。

そこで考えたのが、F1観戦後に日本を経由する事が決まっていたので、ここは思い切ってチケットを世界一周チケットにしようかと思ったのです。しかし、色々と検索してみると、NZから欧州経由で目的地を日本にし、そして日本からNZへのチケットにする事で世界一周チケットよりも安く済む事が判明。一気に予約にかかりました。

欧州へはまずクロアチア・ドゥブロヴニクに入り、現地発はハンガリー・ブダペストから大阪までのチケット購入にしました。そこでアジア経由にするのか、それともアメリカ経由にするかで考えましたが、前者は乗り継ぎのAKLオークランドを昼前後に出発するので、同日のフライトではクィーンズタウンからは乗り継げない事になり、後者アメリカ経由では荷物を全て開封されるシステムなので荷物の盗難が怖く、どちらも納得出来ない感じ。

そこで考えたのが、同じ北米でも荷物を調べられないカナダ経由です。しかも運良くAKLからYVRバンクーバーに直行便が出ており、その後も欧州まで簡単に乗り継げるフライトを発見します。

結局そのフライトに最終的には落ち着いたのですが、考えている間に欧州から日本へのフライトで最も実家に近い関空便が満席になり、止むを得ず羽田経由で伊丹空港に入るプランにて予約をしました。

欧州までの航路はこんな感じ。偏西風に押されるので、アジア経由と殆ど所要時間は変わりません


なんと飛行機4本を乗り継いで、45時間の旅になります。AKLで8時間のトランジットをするあたりがクィーンズタウンは田舎だと思われます。
 
その後はクロアチアをバスで旅行し、首都ザグレブからはユーレールを使った鉄道の旅でオーストリアに入ります。

自宅を出る数日前に「ピットウォーク」がある事が分かり、急遽2014年6月19日(木)に旅先から直接サーキットに入ることにしました。荷物は、その一つ手前の特急停車の駅でコインロッカーに預けての参加になります。

そして出発の3ヶ月前には全ての宿を含む「手配」を完了しました。私は元々旅行会社でこの様な企画旅行の作成などをしておりましたし、自分の旅ともなると、より突っ込んだ旅の組み立てが出来てほんまに楽しい時間を過ごす事が出来ました。

さてその後は指定席スタンドの金曜日券と土曜日券の手配も終わり、金曜日は最終コーナ手前の外側にあるOSTオストスタンドを20ユーロ、土曜日券は新設されたMITTEミッテスタンドを50ユーロで購入しておきました。この2枚はF1ウィークの火曜日に泊まるザルツブルグのホテルに送ってもらうようにしておきました

ちなみに3日通し券はサーキット近くの臨時事務所でピットウォーク当日に受け取るようにしておきました。

さあ後は荷物を作って地球の裏側に向かうだけです。

 
カナダ経由の便にした理由は2つ。

1つはアメリカ経由だと全ての荷物の検査があるので、スーツケースに鍵もかけられないし、検査スタッフによる盗難も少なくないのでこれを避けた。
もう一つはオークランドの出発が20時と遅く、それまでにAKLに飛んでおけば良いこと。アジア経由だと国際線が昼前後の出発なので、AKLに前泊する必要があったこと。これを避ける意味でカナダ経由が最適と判断。

偏西風に押されるフライトなので、飛行距離は長くなるが飛行時間はさほど変わらないし、オマケにマイレージも稼げる。今回はLHルフトハンザ航空のチケットとして購入しましたので、スターアライアンスに属するエアーニュージーランドのマイレージカードを使いました。

ちなみにZQNクィーンズタウンとAKLへの往復はLCCのジェットスターを使っていますので、これはマイレージには全く関係ありません。

さて、2014年6月11日(水)、その日がやって来ました。F1のピットウォークは6月19日(木)なので、最初の1週間は観光です。と言っても、F1と同等クラスの大切な写真を撮る為に伺うので、それも気合の入るところです。

行程はこんな感じ。

6月11日09時40分にAKLに向けてプッシュバック。11時25分にAKL着。

約8時間の乗り継ぎ時間があったのですが、毎度の事、時差の事を考えて一睡もしないで荷詰めをしていたので、市内までバスで出て・・・なんてパワーはありません。AKL空港に着陸する飛行機を狙おうと、空港から数キロ西にある「とある場所」に出向くつもりでおりましたが、今回も風が西向きなので離陸しか撮れません。

そこで急遽国際線最上階にある室内展望デッキで我慢する事にしました。途中エミレーツのA380機が3台並ぶのを撮ったりしてのんびり過ごしておりました。

すると足元に小生が世話になるニュージーランド航空のボーイング777型機YVRバンクーバー行きが入ってきましたので、そろそろF1撮影と全く同じの機材をカメラバックに収納し、エプロンに向かう事にしました。当然その前に休暇ではお約束のビールを飲み干しておきましたが、やはり真冬なので気温が低く、決して美味しい感じではありませんでしたが。

順調に搭乗となり、流石は機内サービス上位のエアNZです。何処かのエアラインとは違い水平飛行になって直ぐに飲み物のサービスが始まり、休暇気分を煽るためにここでもビール。でもエアNZは食事時に必ずワインのおかわりを案内してくれるので、そのあたりで好きです。

気が付けば徹夜で荷詰めをし、結局夜まで殆ど寝ていなかったので、夕食後はあっという間に就寝。相変わらず機内は白人仕様の温度設定なので、持参しておいた厚手のフリースを着て、なおかつ足元には毛布をかけておきました。

皮下脂肪の厚くなった小生でさえこの有様なのに、白人男性は半袖半パンに毛布もかけないで寝ています。お前はアザラシか・・・と言いたくなりますわ。

気が付けば順調に太平洋を北西に向かって進んでおり、ハワイもとっくに通過しており、あと数時間でYVRに着く感じでした。YVRまでの飛行時間は13時間15分なので、もしかしたら思い切り「順調」に睡眠したみたいです。流石に36時間近く寝ていないとこうなりますわ(笑)。

YVR到着後に搭乗機材を右手に見ながらトランジットを終えました。もしLAXロサンジェルスやSFOサンフランシスコを経由地に選んでいたら、こう簡単にはいきまへんで。

勿論AKLからの飛行時間は短くなりますが、必ず米国に一度入国する事になりますし、全ての荷物を開封されますし、その手間を考えれば、飛行時間が2時間ほど長いですが、カナダ経由の方が後々楽です。しかも、次のドイツはFRAフランクフルト行きのフライト時間も短くなりますしね。

小腹が空いたので、現地のマグロとサーモン、それにビールも注文しておきました。
 

さあ先を急ぎましょう。その後は1時間55分の待ち合わせで次のフライトであるLHルフトハンザ航空のジャンボジェット747−400型機に搭乗。9時間40分のフライトを楽しみました。

しかし、LHの機内映画はその数が大変少なく、新しいものもそうでないものも少ない少ない。結局もう何度も見た「ホビット」の2話目を見る羽目に。これが子守唄代わりになったのか、まだ足りない睡眠時間を補ってくれ、グリーンランドにある地磁気北極点を過ぎてからは良く眠れました。それでも気が付いたらアイスランド上空で、少し寝た感じです。でもLHは映画の本数が少なすぎるわ。

FRAに着くと日付が翌日に変わっており、NZよりも約11時間遅れているまでに復活していました。到着は6月12日の午前10時40分(現地時間)で、間もなくランチタイムであります。クロアチアへの最終便まで4時間20分しか無いので、最初からフランクフルト市内に出撃する気は無く、第1ターミナル屋上のテラスに出て、各種欧州の機体を撮る事にしておりました。

到着した第2ターミナルからモノレールに乗って移動し、一度ドイツに入国します。しないとテラスには出られませんでした。

しかし、屋上テラスはまだ営業を始めていませんでした。何かがあったみたいです。尋ねても理由を教えてはくれませんでしたが、要人の到着があったのとちゃいますかね。

そんなこんなで1時間近く遅れてテラスに5ユーロで入場し、その前に後日必要となるユーロをATMでキャッシングしておきました。

入場が遅れたので、結局テラスにいた時間は1時間弱で、落ち着いて撮影は出来ませんでしたが、ボーイング747の9型機という、2階席が少し長くなっている新しい747型機なんかを撮り、その後はドイツを出国し、第2ターミナルに戻っていきました。

最後のフライトはクロアチア航空のDBVドゥブロヴニク行きで、15時10分のプッシュバックです。 

そんなこんなでやっとの事で目的地であるDBVに着き、空港バスで旧市街地の入口であるピレ門で下車し、宿まではスーツケースを引きずって徒歩でいきました。自宅を出て45時間も経っていました。

普通ならそこで一休みでしょうが、何のために徹夜をして東へ東へ向かったかと言うと、そうこの後の真夜中まで元気に撮影するためです。でも本当はそろそろ寝る時間なんですが、この日はワールドカップサッカーの開幕戦であるブラジルvs地元のクロアチアの試合が待ち受けています。

その群集を撮るのが面白そうでしたので、デジタル一眼でフルハイビジョン映像を撮り、もう一つのデジタル一眼でスチール撮影と、それに三脚も持って夜景の撮影に頑張って出撃しました。


その後はクロアチアを計4ヶ所、スロベニア1ヶ所に寄り、オーストリアはザルツブルグに入りました。無事にF1が開催される国に入国出来て安心したのですが、その夜の夕食を食べた日本食レストラン、東京湾TOKYO BAYで偽物和食のオンパレードに遭遇し身体の調子を崩してしまいます。

よくもあそこまでニセの料理を出しておきながら「和食レストラン」をうたってやがるな・・・といった酷さでした。皆様もご注意下さい。サッカーなら「一発レッドカード(退場)」です。

結局体調をコンビニのビールとつまみで回復し、翌日以降も事なきを得ました。そしてF1ピットウォークの日がやってきました。しかし、まだ小生は電車を4本も乗り継がなければならない場所におり、朝9時台の列車に飛び乗ってサーキットへ向かいました。

スーツケースを特急の一つ前の駅にあるコインロッカーに預け、12時45分にはサーキット近くのKNITTELFELDクニッテルフェルド駅に着きました。

事前にバスの時刻を調べておきましたが、その時間になってもバスは全く来ず、そろそろ焦り始めていると、同様にバスを待っている人たちの間で会話が始まり、いつの間にかタクシーを割り勘で使おうということに。

集まったのはベルギーから若い男性、英国から若いカップル、イタリアから40代男性とその親父さん、そしてニュージーランドから小生の計6名。

またタイミング良く3列シートのタクシーが来てくれて、一気にサーキットまでと行きたいところですが、そこは無理な話。キャンピング場に入る為の車の長い列が始まっており、タクシーもその渋滞に捕まってしまいます。

誰が言い始めたか分かりませんが、その場でタクシーを降り、そこからは歩いていく事にしました。小生とイタリア人親父は途中でチケットを受け取る場所に寄ることになっていましたし。

見るとまあ長い渋滞が出来ており、明らかに歩いた方が早い。3人はチケットセンターにてチケットを受け取りましたが、その間、他の3人は我々の事を待ってくれており、6人は一緒にサーキットへと歩いていきました。

結局小生以外はピットウォークの入口が何処か知らずに来ており、唯一小生が第1コーナー外側の広場であることを知っていて他の5人は助かったみたいです。

急な坂を上り、その広場に来てみると、既に数千人のF1ファンが群れており、人数制限があると書いてあったのが良かったのか悪かったのか、15時05分開場のピットウォーク開始1時間前には、こんなに集まっていました。

そしてこの後、この集まりで倒れる方が続き、一度は救急車もやってきました。そりゃそうでしょ、この状態で1時間以上も立たされ、そりゃそうなるわな。

主催者が飲料水の会社なんやから、皆にレッドブルの缶でも配れば良かったのに。小生がレッドブルのCEOやったら、絶対に無料で配っったわな。あほやな、レッドブルも。初めからこんな不手際な案内をしよってな。
 
さて一度は時間通りに開門しようとしたものの、先に招待客でも入れたのか、かなり遅れて開門となりました。しかし、これだけの人数ですので、開門しても入場出来るまでにまだ20分以上もかかりました。まあ一気に入れたら、転んで踏み潰されるしな。

入場してぐったりと倒れ込む方も少なくなく、しかし多くの方は元気にメインスタンド方向に歩を進めていきました。第1コーナー縁石を見ている人もいれば、早くマシンを見たい人と色々でした。

しかし、渋滞は再びやってきます。小生は過去の各国F1ピットウォークで「入口は下位チームの方」という常識を知っていました。しかし、今回は何を血迷ったのか、多くのドイツ人が見たがる「レッドブルチーム」の真横を入口にしてしまったのです。

あほやなぁレッドブル・・・と、既に2回目の駄目出しをしてしまう状態。まだレースも始まっていないのに。この分では、車が走り始めてからの不手際も間違いなくありそうなので、ベテランとしてはかなり心配しました。





 
そりゃそうでしょ、一番人気チームの正面に人だかりが出来るのは必死なのに、その直ぐ側に入口を設定してしまい、ちっとも入場出来ません。結局、この渋滞はピットウォーク終了時間である18時まで続き、中にはピットレーンにも入れない人がいたと思われます。

アホやろ、レッドブル。カスタマーサービスを忘れている会社は早めに落ちるで。

結局、小生もここで1時間近く待たされ、結局ピットレーンに入れたのは17時前。終了まで1時間ほどしかありません。いざ入ってもレッドブルチームの前に大多数のファンが居座っており、別にドライバーが出てきているわけでもないのに、カメラを頭の上に持ち上げて懸命に写真を撮っておるだけ。こんな感じ。

これだけ入口近くに集まる事ぐらい、なんで予測が付かないのか、なんだか初日から情けなくなって来てね。この写真を撮っている連中も、前が見えないからとりあえず写真を撮っているだけでした。

小生はデジタル一眼を一脚に取り付けて、12秒タイマーにして持ち上げて撮っています。そうピット内に誰もいないし、誰も作業をしていない。もし作業なんか始めたり、ドライバーが出てきたりしたら、もっと凄い群集となり、ピットに誰も入れなくなるでしょう。

何故下位チームの第1コーナーに近い方からお客さんを入れなかったのでしょうね。子供でも分かるよね。

結局1時間ほどで全チームの前を通り過ぎたのですが、やはり全く時間が足りませんでした。いつもなら誰かしらドライバーが出てきたり、クルーも作業を続けるのですが、もし始めようもんならそこで群集が出来てしまい、また動かなくなってしまいます。

結局レッドブルチームの成績が悪かったのが、このピットウォーク中の作業が出来なかったためではなかろうか。もしそうなら、自分の首を自分で絞めたと言えるかも知れません。

途中で入口近くの上部にあった表彰台に、ルマン24時間レースで優勝も経験した、元ミハエル・シューマッハーのチームメイトだったジョニー・ハーバートも出て来てくれて、懐かしい話をしていました。

彼はマツダがロータリーエンジンで優勝した時にチェッカーを受けたドライバーでしたね。

 
 
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