2016年 アゼルバイジャン首都バクー市街地サーキット
 

さて皆様ご機嫌麗しゅうございます。数年おきにF1を観戦&撮影しないと禁断症状の出るラクダおやじでございます。今回も初開催グランプリに行って参りました。ヨーロッパGPであります。

過去にヨーロッパGPという名前の冠GPは何度も行われていますね。英国のブランズハッチドニントンパーク、スペインのへレスバレンシア、ドイツのニュルブルクリンク等がそれです。

そして今年からはオイルマネーに物を言わせて勝ち取ったことが容易にイメージ出来る産油国のアゼルバイジャンであります。

アゼルバイジャンって何処?って感じの馴染みのない国名ですが、そりゃそうでっせ。なんせソ連から独立したのが1991年ですので、まだ25年しか経っていない若い国なのですから。多くの方が教育を終えてからの独立国家なのであります。逆に「ゆとり〜ノ世代」の方は間違いなく習ってますよね

首都はバクー。カスピ海の西方に接する産油国であります。

宜しければ今年2016年の休暇旅行で私が周った飛行経路をご覧下さいませ。首都バクーは下記地図の右端に表示しておきました。


 
私の住むニュージーランド南島クィーンズタウンからは、こんなに遠いです。

今年の休暇旅行で乗った飛行機は計9本。クィーンズタウンからは東(右)へ進み、まずはニュージーランド最大の都市であるオークランドまで国内線に乗りました。2016年6月1日14時30分発でした。

その後、20時05分発のYVRバンクーバー行きのNZ航空に乗り太平洋を縦断し現地で一泊。雨の中の夜景撮影と相成りましてござる。

翌6月2日18時40分発のMUCドイツ・ミュンヘン行きのルフトハンザ航空で北極圏を横断し欧州へ入りました。その後は欧州28か国の鉄道乗り放題券である「ユーレイル・グローバルパス」の15日連続券を使い、ポーランド、スウエーデン、デンマーク、再度ドイツに入り寝台特急でオーストリア経由のスロバキア、ハンガリーと旅を続けました。

そして最後にやってきたハンガリーのブダペスト空港からLCCのWIZZ航空というハンガリー航空の子会社フライトでアゼルバイジャンはバクーに入ったのでありました。
一昨年にF1オーストリアGPに伺ったのですが、11年ぶりの開催でサーキット名も変わっており、レッドブルリンクとしての事実上の初開催でありました。

その際のチケットはレースチケット販売を専門にしている英国とドイツの会社ウエブサイトから購入したのですが、今回のバクー市街地サーキットでのチケットはバクー市が運営するサーキット管理会社から直接購入しました。

さてそのスタンドですが、自由席だと市街地サーキットゆえにフェンスが邪魔で撮影どころではない事が容易に分かっていましたので、無理してでもスタンドチケットをと思い、ここは少し弾んで420ユーロの座席にしました。

ピットからは最も遠いスタンドですが、このスタンドだけが車両をほぼ真正面に撮る事が出来、それ以外は通り過ぎる車両を真横からしか見るしか出来ません。

選んだスタンドはAZNEFTと名づけられており、3日間のチケット代金が2番目に高額なものとなってしまいました。幾らオイルマネーで栄えている国とは言え、この値段は2010年に伺ったF1トルコGPの最終コーナースタンドの5倍程の料金になります。

アゼルバイジャンの通過はマナトといい、私の住むNZニュージーランドとはほぼ同額の為替レートになります。早い話、対ユーロは1.6倍も高くなりますので、420ユーロをNZドル=マナトに換算すると672ドルにもなります。あらら、これは大変高額でんなぁ。日本円で67200円って考えると、尻込みしそうな値段でっしゃろ。

でも、この為に働いている様なものなので、たまには贅沢もええでしょ。


そんな今年の旅行ですが、バンクーバーを筆頭に、欧州の鉄道旅行をした後のアゼルバイジャン入国だったので、その疲れはかなりのものでした。
またハンガリーはブダペストからのフライトは23時45分発。バクー到着が朝の5時30分というナイトフライトでしたので、サーキットのロケハンとピットウォークに備えて、たった2時間45分のフライト中は爆睡するつもりでした。

ところが機内は着陸するまで電灯が付いたままで明るく、しかもボーディング時から男性グループの雄叫びに応援歌の大合唱。

小生は「あれれ、ハンガリー人ドライバーっていたっけ?」と思い返しましたが、該当する者は誰もいません。
もしかして、ハンガリーの近隣国からの応援団が態々ブダペストまでやって来てこの飛行機に乗ったのか・・・と思い、彼らの応援歌に聞き耳を立ててみました。

しかし、英語でもドイツ語でもありません。そこで一つ思い出したことがありました。それは搭乗前のショップでの出来事です。
一人の見劣りのする容貌の男性客が商品の支払いに大量のコインを出した事です。コインの総数は100枚以上あります。しかも店員はそれを受け入れ、一から数えているではありませんか。

そのお陰で支払いの列は混んでしまったかと思ったら、もう一つのレジはスムースに客を捌いています。そう小生の後ろには誰も来ず、全員もう一つのレジにてあっという間に支払いを終えているのです。

それでもその列にも5〜6名の客が並んでいます。小生は列の移動をするか、はたまたこの馬鹿男の所業を最後まで見届けるかの選択に迫られました。

支払いの後にパブでビールを飲むつもりだったので時間は惜しい。しかし、この野郎の所業を見てやろうという選択をしました。

結局、100枚以上のコインを数えるのにかかった時間は5分ほど。通常なら支払いに30秒もかかりません。
そして、この野郎の去り際に小生に何と告げていくのかを期待しましたが、なんと無言で仲間の元に急ぐではありませんか。

小生は20秒ほどで支払いを終え、この馬鹿野郎の後を追ってパブに行きました。

 
仲間との会話を聞いていると、「やっぱり」と思う国籍に行き当たりました
何処の国の人間だと思いますか、この馬鹿野郎?

そう答えは簡単。こんな馬鹿な事を平気でし、他人の迷惑さえも理解出来ない人種の筆頭は

ソ連人です。

お後が宜しいようで。ほなサイナラぁ・・・・・・・・・

そう小生は2010年のトルコGPで殴り合いになりかけたソ連人から、再度攻撃を受けたのであります。

あの時は最終コーナースタンドチケットを購入し、レーススタート時のエンジンからのもやもやも入れての写真を撮るつもりで、1000ミリ望遠を構えていました。そして赤ランプがブラックアウトして第1コーナーまで消えていく様を連写するつもりだったのです。

ところが、ブラックアウトする前からカメラのファインダーに何かが入り込むではありませんか。
正体を確かると何とそれは畳2〜3畳ほどはありそうなロシア国旗だったのです。しかもその枚数は10枚弱もあり、大きさも様々。

そう奴らはソ連人であり、なんとスタンドのど真ん中で大きな国旗を振りやがったのです。

幾らレースを初めて見に来たのであっても、スタンドのど真ん中であれ程大きな旗を振ったら、他の観客の迷惑になる事くらい分かるはずです。しかも、南半球から2万キロも飛行機に乗ってやって来た小生の邪魔をしたとあっては、鉄拳制裁しか残された道はありません

私は階段を下り、その大きな旗を振っていたソ連人の胸倉を捕まえ、右手拳を振りかぶってフックパンチをお見舞いするところだったのですが、それを他の観客に止められ牢屋に入らなくても済んだことがありました。

その後はその辺りに見えている全てのロシア国旗の棒を太ももで真っ二つにおり、スタンドの下に向かって投げ捨てたのであります。その全ての奴が俺に襲い掛かっても、小生はその若造達を病院送りに出来たでしょう。

恐らく膝の内側へのローキックか、若しくは横っ腹へのミドルキック、いや顎への正手突きかな。
いずれにしても、あれだけの大男相手に大立ち回りをしようとしたのですから、小生の怒りは尋常ではありませんでした。

結局ズタズタにされたロシア国旗がスタンド下に並び、それ以上は奴らも黙ったままでした。しかもこの出来事はスタンドの最終コーナーへの進入側に移動しても同じでした。

目の前でロシア国旗を振られてしまい、F1マシンを撮るどころか、ロシア国旗に遮られる羽目に。
その写真を見た小生は、その若造から国旗を奪い真っ二つに折りスタンド下に投げ捨てました。怖かったのでしょうね、反撃してきません。

謎の東洋人の大立ち回りを思い出しましたが、それに匹敵する出来事がブダペスト空港でも起こったのです。
まあ馬鹿野郎は彼だけだったので、今回は大立ち回りをしませんでしたが、実はこの後もこの野郎達から被害を受けます。

そう機内で大声で叫んでいるではありませんか。着陸する朝5時30分までずっとです。

まだドイツやオーストリアなどなら分かりますが、あのレッドブルチームを首になったロシア人ドライバーのクビアトを応援する馬鹿野郎如きになんで迷惑を被らんとアカンのか・・・と思いましたで。

まあ機内で殴り合いはまずいので、仕方なくアイマスクと耳栓をしましたが、奴らの声は耳栓をしていても聞こえており、結局一睡も出来ずにバクー空港に到着となってしまいましたとさ。

恐ロシア。

お陰様でフラフラの状態でバクー空港に到着。そして今年の2月から始まったばかりの到着時に入国ビザを取得する為に申請用紙を手に入れ、その用紙に必要事項を記入し入国審査の並びに陣取りました。

しかし、いざ審査になった時、審査官が「この用紙を持ってビザを取得して来なさい」と言われ、指を差した方角を見ると何ととんでもない所に申請場がありました。

飛行機を降りてから見逃さずに進んだつもりが、全く違う進路に申請所があったのです。

確認の為に逆戻りしてみましたが、そんな案内は何処にもありません。しかし、申請所には20人前後の人々が並んでいます。彼らはこの場所を知っているみたいでした。しかし、各々の乗客は個人ではなく、どうも添乗員らしきリーダーに付き添っている団体が2〜3個集っていたみたいなのです。

早い話、申請所の場所を最初から知っている業界人リーダーに付いてきた人たちという事になります。そう、全くの個人客は小生一人だけだったみたいなのです。しかし、事前にアゼルバイジャン領事館にビザを申請するよりも手軽なので、これから現地に向かわれる日本人はこの場所だけ注意深く見ながら入国審査前にビザの取得を完了されておいて下さい。 
ああちなみにこの到着時ビザ取得方法ですが、全世界の人間が出来るわけではなく、日本人を筆頭に中国人等のアジア人に限った事みたいですので、パートナーが該当しない国のご出身でしたら、飛行機に乗る前からのビザ取得が必要です。詳しくはアゼルバイジャン大使館か領事館まで。

早朝からドタバタしましたが、無事に入国出来き、早速空港の外に出てみました。

そこは砂漠ならではの晴天でした。しかし、砂の粒子が舞う事は防ぎようがありませんので、青い空というよりも霞んだ感じです。おまけにバクーは風の街と呼ばれる程に風が強い街で、砂塵を感じる5泊6日間でありました。

風を感じていると早速噂のタクシー親父たちが群れてきます。しかし、こちらは旅行業界に勤めて30年のベテラン。バス+地下鉄が最安値である事、そしてタクシーとさほど時間も変わらない事、そして小生の宿はサーキットの内側に位置するのでタクシーはホテルに横付け出来ない等の理由があり、タクシーは論外だと決めておりました。

しかし、彼らも商売。しかし、30分毎に出発するバスの時間が迫っているので丁重に断りますが、次から次に違う運転手が来るので正直鬱陶しいだけです。
 
早速BAKU CARDを手に入れるために自動販売機を探します。すると空港を出て直ぐ右手に小さな機械があります。たった一つしかないので、混んだらバスに乗り遅れるんとチャイますかね。両替が必要なので、とりあえず少額を空港の両替カウンターで換金します。

その小銭でカードを購入し市内中心まで走るバスを待ちます。しかし、断ったはずのタクシー親父たちがまた飛来します。こういう時はカードを見せての撃退がベストと思いますが、それでも食い下がってきます。

タクシーは復路で午前2時30分頃に世話になるので・・・と名刺だけ受けとりますが、そんな時間は働いていないのでと引き下がる奴も多数。これで撃退終了です。しかし、バスが来ません。どこが30分おきに走っとんねん!といった感じです。

幾らF1ウィーク中と言えども、バスは空港と中心地の28MAY駅を結んでいるだけなので、サーキットからは離れています。しかし、7時30分発のバスは結局やって来ませんでした。そう、バスがやって来たのは8時少し前。乗り込んでも全く出発する気配もありませんでした。

運転手にこのバスは何時出発のものなのかを聞いてみた所、やはり8時発だと。7時30分のバスが来なかったのだがと伝えると、「F1の影響だろう」という答え。

小生がバクーカードを買ったのが午前7時10分くらいだったので、やはり通常運行は出来ていないと推測。そして出発したバスに揺られていると、その答えがすぐに分かってきます。

市街地サーキットがバス運行路から離れているとは言え、道中の高速道路から街中から全て交通規制されています。終点の28MAY駅前に着くまでに何度もパイロンで規制されている道を通りました。時には逆走だった時も。

これまでに市街地サーキットのF1に伺ったのは1988年のオーストラリアはアデレイド、1998年のモナコの2回だけ。アデレイドは夜行バスで街に入り、モナコは鉄道で入っていますので、ここまでの規制を経験するのは初めてでした。

しかし、終点の28MAY駅前に着いてもF1の雰囲気は全くなく、そこから地下鉄に乗り換えて終点のIcheri Sheher駅に着いて初めてF1の雰囲気を感じるのでした。
私が予約した宿はサーキットの西端で円を描いている内部でスタート地点から最も遠い場所。鈴鹿で言うならスプーンカーブの内側にあります。そこに遺跡を含む、まことしやかに古い建物群がひしめいている場所になります。

宿はそこから石畳の道を通り、上り下りを繰り返して辿り着きました。スーツケースを持っていますが、ギリギリ転がせます。


 
 
これが市街地サーキット地図です。右端にピット前グランドスタンドがあり、第一コーナーは直角の左カーブ。
小生が荷物を持って降り立った地下鉄駅が左端の青い点です。もう既にサーキットの内側になります。

そして緑色の点が泊まったホテル。家族経営の小さなホテルですが、受付に24時間人がおり、夜中に戻るとソファーでいつも寝てはります。

オレンジ色が観戦スタンドで、小生が選んだのが宿のやや左下の直角コーナーにあるAZNEFTスタンドで、唯一真正面から車体を狙えるものです。もう一つT20(第20コーナー)にある小さなスタンドでも辛うじて真正面から狙えそうですが、シケイン状になっている為にやはり車体を横から見る感じである事と、2重のフェンスがある所なので正面撮影は無理でした。本選翌日の月曜日にスタンドにて確認しましたが、やはり予想通りでした。

さて予定通りに午前中に宿に到着し、着替えと荷物だけ置かせて貰え、早速チケットを受け取りに行きます。場所はグランドスタンド左手の銀色屋根の建物。そこまで約2キロ程なので歩いて行くことにしました。しかし、ここは初めての地。しかもF1ウィークで、歩道も規制されています。

一度海まで出てからの方が早いと思いましたが、サーキットコースまでやって来て無理だと判断。見渡しても渡れるブリッジなど何処にもありません
そこでやはり東進あるのみと思い、地図の右に向かって歩き始めます。運よくサーキットコースに設置されているフェンスにカバーが張り巡らされてはいますが、その横には狭いですが歩道が確保されており、これに沿って歩けば楽勝と思ったのも束の間。

そう言えば、ここのサーキットは途中で大通りを二分してコースを設置してたな・・・となると、このままでは市街地に出られないぞ・・・と思っていました。
事実、ご覧の通り、上下線がぴったりとくっ付いている所がありますよね。ここは幾ら何でも歩道も確保出来ません。

そこで歩く人はかなり北進させられ、結局市街地に出るにはT12左手のブリッジまで来なくてはならなかったのです。T12のマークが見えますか?場所はホテルの右上です。

既に大回りしてますね。ホテルから一度真下のコースまで出てからの迂回なので滅茶苦茶遠回りです。。

そしてやっとの事でコース外に出たのですが、目的地はグランドスタンドの左横の建物。まだ先は長いです。
ここで機内で一睡もしていない影響が出てきます。そう既に気温が30度を超えての炎天下。日陰を探しながら歩こうにもコース規制でかなり無理。そしてやって来たのがT3にあるブリッジ。ここまで来ないとサーキットの中に入れません

そして南下し、最後のブリッジを渡ってPark Bulvar Mallという綺麗な建物に辿り着きました。中に入ると冷房も効いており中央広場にチケット引き換えカウンターも簡単に分かりました。印刷しておいた用紙を見せてチケットや首掛け等の一式をもらい、そこで初めてスタンドのどの辺りの座席なのかが分かります。結構前の方です。もしかしたらフェンスが邪魔になるかもと思いましたが、これが現実になります。

その際に初めてピットウォークの時間が18時30分からだと分かります。これまでそのウエブを調べても、そしてバクー空港のGP特設案内所で尋ねても、そしてコースのセキュリティ諸氏に聞いても誰も知らなかったこのピットウォークでした。流石に初開催です。

炎天下の中、ここまで既に3キロも歩いたのでクッタクタであります。まだランチの時間ではありませんが給油の時間です。そうパブを求めてそのモールを歩き回ります。
何階に何のテナントが入居しているのかを示す案内もなく、仕方なくエスカレーターを使い上に向かって昇っていきます。

そして最上階にレストランを見つけます。 11時になったばかりなのでランチにはまだ早すぎますが、営業は始めたとの事。早速良さげな場所に案内してもらいます。お客さんは誰もいません。

冷房の効いている場所も良かったのですが、どうもテラス席があるようです。屋外ですが張り出し型の屋根があります。そこで風に吹かれながら飲むことにしました。
EFESビールを美味しいと思ったのは今回が初めて。6年前にF1トルコGPに伺った時に周遊した場所場所でこのビールが出てきましたが、美味しいと思ったことはありませんでした。

ラベルを良く見ると小生の好きなピルスナービールと書いてあります。6年前は気付きませんでした。その効果もあってか、サーブされたEFESビールの美味しい事。炎天下の中で3キロも歩いたが理由なのかも知れません。

この後もコンビニに行く度にこのEFESビールの世話になります。500ミリ缶を何本も購入しては、ホテル部屋の冷蔵庫にいつも冷やしておきました。

でもなんでトルコで飲んだ時は美味しく感じなかったのだろう・・・と今思えば、トルコ旅行はイスタンブールでマフィアに痛い目に遭ったのが尾を引いていたのかも知れません。今回は何も無く順調でしたのでね

さて幾らホテルで着替えをしたと言っても、これだけ歩いて飲んで疲れてきたので、午後2時には部屋に入れるとの事だったので、早速昼寝の為にホテルに戻る事にしました。事実上の睡眠であります。機内で一睡もしていなかったので。あのロシア人グループの馬鹿野郎のせいであります。

受付で荷物を受け取り早速の入浴であります。冷房も効かせておきましたし、数時間は眠れるでしょう。

しかし、早速トラブルです。シャワーの排水が全く出来ず、足元に何センチもの湖が出来ています。仕方がないので排水口を足でプッシュしてはパイプの詰まりを取り除いていきます。しかし、思うようにいきません。

仕方がないので途中で諦めてシャワーを終えると今度は浴室内の足元に排水が漏れている事に気が付きます。おいおい、こちらは疲れてんねん。ええ加減、普通の部屋はないんかい・・と思いながら、足元タオルで拭きますが、シャワーを終えているにも関わらず漏れは続きます。

この時ばかりは睡魔に負けて就寝であります。ピットウォーク開始が18時30分なので、1時間前の17時30分にグランドスタンド横に着けば良い計算です。
今度は歩いて30分で行けるだろうと思い、16時30分まで寝ることにしました。1時間30分だけ眠れます

そして順調に進みピットウォークの入口に来てみると、なんとまだ100人も集まっていません。これはラッキーでした。半ば最後の方でええと思ってたんですが、なんと人気の無いGPだこと。2年前のオーストリアGPピットウォークとは雲泥の差でありました。
2列に並んでいたのですが、隣になった方はEOS5D3を持っておられ、EF70−200の2.8を付けておられます。そしてサーキット関係者が通る度に声を掛けられています。かなりの有名人の模様です。

てな具合で小生もデジタル一眼を持っているので話が盛り上がり、待ち時間はあっという間に過ぎてくれました。

しかし、何度も電動カートが往来し狭い空間を進みます。その度に列が乱れ、小生の後ろにいた中年カップルがいつの間にか前にいるではありませんか。その後も奴らはカートが通る度に列を乱して前に前に進んでいます。結局、入場時は5メートルほど前にいました。

今回も入場口はピット入口の外側からだったのですが、そのホームストレートの広さとピットロードの広さも十分に確保されていて、そしてピットウォークの参加者も少なかった事からかなりゆったりとしたものとなりました。2年前のそれはホンマに馬鹿々々しい感じになるほどでした。
 
しかし、何故何度も電動カートが通るのでしょうか。これから行われるピットウォークを待つお客様の列を切り裂く様に運転されています。運転手はサーキット関係者のポロシャツを着ていますが、後ろの座席に乗っている人々は蝶ネクタイやタキシード、背広に女性はドレスという井出達。

ピットウォークの入場を待つ大勢のお客様に対する扱いを大幅に逸脱した行動です。これが何度も続きます。早い話、ピットウォークの入口を適切な場所に設定しなかったのではないかと多くの観客が感じた事でしょう。

ところでこのフォーマルな姿で電動カートに乗っている人々は一体誰なのでしょうか。観客を人間として扱いっていないこの異様な光景に、多くの方が首を捻っているようです。

後で分かる事なのですが、このフォーマルなドレスを着ている人々は、恐らくは階級の高い人々で招待客。我々一般観客は、これらの人々とは同じ扱いを全く受けていないのです。早い話、差別的な扱いが平気で行われているのです。

こんな事、あのモナコGPでもあり得ません。アゼルバイジャンという国はそれが平気で行われる産油国なのです。

これからバクーでのF1に参加される方は、この事を知った上での参加をお勧めします。一般観客はほぼ奴隷扱いになります。これは毎日のゲート入場でも露わになりますので、引き続きお読み下さい。

さてそのピットウォークですが、18時30分開始と大変遅く、今年から夏時間を廃止した関係で日没時間が1時間早まりました。ゆえに開場時の太陽高度は既に17度まで下がっており、終了時(20時)の高度はなんと2度。そう殆ど日没時間でした。

ですので、終了時はかなり暗くなっており、この時間設定はどうしたもんか・・・といった感じです。欧州時間に合わせるための処置だと思いますが、ならばこんな東に位置するアゼルバイジャンで開催されるべきではない感じもします。

またGP開催を誘致した頃は産油国として潤っていましたが、いざGPを開催する2016年になり原油価格が大幅に下がってしまい、F1開催を中止するなんて噂も聞こえていました。また複数年での連続開催として契約したそうですが、あの観客数では来年の開催も危ういのではないかと思いました。

実はろくなスタンドがないんです。ほぼ目の前を高速であっという間に通過するスタンドばかりで、その空席の目立つこと目立つこと。相当な値下げをしないとチケットは売れないでしょうね。というか、このGPのスタンドはあれだけの金額を払う価値が無いように思います。

オマケに階級の高い人物を優遇するために、一般の観客を雑に扱う社会は世界から認められないと思います。
 











さてそのピットウォークですが、上にその時の動画をアップしておきましたので参考にされて下さい。
今回は参加者の絶対数が少ないのでホンマに助かりました。これだと18時30分の開門開始時間を過ぎてからでも十分です。なんせ2年前のオーストリアGPでの事がトラウマになっており、睡眠時間を削ってでも並んでしまいました。

フェラーリとトロロッソの2チームだけがシャッターを閉めた状態でしたが、その他は色々とやってましたよ。そして我らがマクラーレン・ホンダチームだけがタイヤ交換を何度も見せてくれ、いや実践練習しており、上手く行くと観客から拍手が起こる状態でした。

ただドライバーは誰もおらず、年々セキュリティでも強くなっているのかと思わざるを得ません。でもまあこんなもんでしょう。

20時の終了時間一杯まで2周しピットウォーク終了。喉が渇いたのでグランドスタンド裏にあるサーキットパブみたいな所でビールを2杯飲み干し、その後はカスピ海沿いに歩いて宿方面に。途中でビールやアイスクリーム(1リットル)等を買って宿に戻り速攻で冷蔵庫に投入。続いて手早く手もみ洗いで洗濯。ピットウォーク前に1時間半ほど熟睡出来たので至って元気。

しかし、直前の欧州7か国訪問でやはりかなり疲れが溜まっているのは間違いありません。11インチのノートパソコンにこれまでに撮影してきた撮像をきっちりコピーし、手持ちの64GBのSDカードを空にし始めました。

一つのHDDに撮像を移すだけでは何かあった時に怖いので、1TBと500MBの2つのポータブル外付けHDDにもコピーし3重の防護を引きました。そして翌日からの連写撮影に備え多くの高速SDカードも確保。そうこうしている間に日付も変わり急いでシャワー。

EFESビールの500ミリを2本立て続けに飲んで画像処理。やはり睡眠時間が全く足りないので、冷房を掛けて眠りにつきました。午前4時を過ぎていたと思います。

翌日のフリー走行開始は午後からなので、昼までたっぷり寝ました。宿には5日間、ルーム清掃は不要だと伝え、真昼間まで寝ました。ああ、疲れた。

こうして無事に欧州の東端にあるアゼルバイジャンまでやって来ました。
 
さて2016年6月17日(金)になりました。前日は徹夜でバクーに到着し、午後に1時間30分だけの睡眠だったにも関わらず午前4時頃まで頑張ってしまいました。
そして今日からレーシングカーが実際に走る訳ですが、実はサポートレースであるGP2という、そうF1の下のカテゴリーが練習走行を開始したの音で起こされました。なんせ泊まっているホテルはレースコースから100メートルも離れていませんので。

ちなみにGP2は自然吸気エンジンを積んでいる為に、そのエンジンサウンドはかなりの高音域。実はF1マシンよりもエンジン音が大きいし高いです。昔からF1を見てきた小生はそのエンジンをベッドで聞いて一瞬焦ったわけです。

そして食うものも食わずに撮影機材の最終確認をし、気温約30度の炎天下に出るのでミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出しリュックスタイルのカメラバッグに詰めました。スタンドまでは直線距離で200メートルほどですが、そこは市街地サーキット。超大回りでないとたどり着けません。
まだ詳しい道を知らないので念の為に地下鉄駅まで出て、そこから景色を眺めながら下って行きました。しかし、そこにはサーキットコースを超えるブリッジはなく、地下通路があるだけです。サーキット地図には地下で2方向に分かれ、スタンドの真横に出るために左折を試みようとしましたが、そこには屈強な係員、恐らく軍人がいて「こちらは通行止めだ」と言います

サーキット地図を見せても、「通行止めは通行止めだ」と頑なに拒否を続けます。AZNEFTスタンドのチケットを見せても無駄でした。観客に配っているサーキット地図には、左右どちらの方向にもう行ける様に表示されているにも関わらず、何が何だか分かりませんが右に進めと言います。

結局右に進むとかなり遠回りになるのですが、何とかスタンド横までやって来れました。そこでチケットを首からぶら下げてゲートに入場しようとすると戻れと命令されました。ここでも訳が分かりません。 

小生は1987年のF1日本GPでF1観戦デビューをし、その後はほぼ1年おきにF1をサーキットにて観戦してきました。また1988年のオーストラリアを皮切りに、日本以外のサーキットでの観戦暦も多々あります。98年はスペインGPとモナコGPを2週間差で連続で見た年もありましたね。

しかし、サーキット地図表記に誤りがあった事はなく、またゲート入場で戻されたことも初めてです。420ユーロもする高額なチケットを持っていて、こんな対処をされるとは
思いもしませんでした。
 
何故戻されたのかは、ゲートのフェンスにA4のヨレヨレの紙に手書きで書いてありました。「関係者入口」。しかもボールペンで。

遠くからやって来て白いテントの手荷物検査所が目の前にあり、そんなA4の紙に細い文字で手書きで書かれた案内を誰が見るのか。レベルが低くて、両手のひらを上に向けて「ワケワカラン」のサインをしてしまいました。

結局、一般観客は右のゲートに並ぶ必要があったらしく、レベルの低さにあんぐりでした。

そしてカメラバッグを開けて中身を全て見せて入場しようとしたらもう一発きました。「レンズが長過ぎるので持ち込み不可だ」という。鈴鹿じゃあるましい、レンズの長さを規制しているサーキットは他に聞い事がありません。

そこでその担当者に、「俺は南半球は南緯45度から40時間かけてここまでF1を撮るために来た。事前にレンズの長さ規制の話は聞いていないし、今更個人的な新しいルールを押し付けられても困る。また貴方は世界中のF1レースを知らないみたいだが、観客は皆長いレンズを振り回してスタンドで写真を撮っている。」と言ったところ、彼らの素人さを実感したのか、すんなりと通してくれました。

ここの人間も自分が法律みたいな考えを持っているやなぁ・・と、NZ人みたいな田舎者と同じやなぁと落胆したものです。
 
そしてスタンドに入りチケット番号を見ながら座席を探し着席。しかし、フェンスの最上段にある最も太いパイプが邪魔な事が分かり、最初の5分で離席。結局それから一度もその座席には座りませんでした。そしてスタンド内に良い撮影場所を求めて動き回る事にしました。

やはりクリッピングポイントを撮りたいと思い、コースに向かって最も遠い場所でしかもフェンスが邪魔にならない中段にて撮影を続行しました。

フリー走行は90分もあるので、それなりに撮影の勘を取り戻すのには十分な時間があります。また夏至に近いので太陽高度が73度もあり日焼けが心配です。そこで前日にチケットを受け取る際に日焼け止めクリームを買い求めようとしましたが、なんと何処にも売っていません。あるのは綺麗に日焼け出来るオイルばかり。SPF50なんて日焼け止めは全く存在もしません。

これでは2008年のフランスGPの二の舞になるかも・・・と思いながら撮影を続けましたが、あれだけ太陽が高いのに全く日焼けする気配がありません

そう国家の大半が砂漠の国なので空気中の不純物が圧倒的に多く、全く太陽光が強いと感じないのです。これはしめた!と思いました。まあそれでも紫外線は強いので、この後に専門店に行くも売り切れで、結局滞在中は知り合ったカメラマンが塗りなさい・・と言ってくれたので、それを一回気休めに塗っただけでした。赤くなるような日焼けもなく、最後まで大丈夫でした。

1回目のフリー走行が終わったのが14時30分。そう言えば起きてからまだ何も口に入れていません。こういう時はサーキット食堂に限るわけでして、スタンドの外で食事、飲み物の販売があります。

しかし、その種類は大した事ありません。キャバブにピザ、そしてサンドイッチ程度。飲み物も至って普通です。まあ四六時中ビールを口にしているので、そのおつまみが食事の代わりみたいな感じです。迷わずピザとビールを頼みました。

支払い方法は先に食券を買いに中央カウンターに並びます。そこで支払いを行い食券をもって各ブースに行きます。

6月1日のバンクーバー到着時から全くHPもブログも更新していなかったので、ここぞとばかりに撮ったばかりの写真選びと、その画像処置をしようと芝生に座りました。そこにカメラバッグを置き、ピザとビールも芝生の上です。

するとどうでしょう、皆から冷たい視線を感じます。NZでは100%当たり前の芝生着席ですが、どうやらアゼルバイジャンでは低俗な行為の様です。見渡すと皆設置された椅子とテーブルを利用しています。

しかし、そんな事はどうでも良いです。早速写真の選別から始めます。しかし、流石に炎天下。ノートパソコンの液晶が良く見えず、どの写真が良いのか分かりません。候補を絞っておいて、ホンマにええ感じの写真なのかは日陰で見ました。

ピントがドンピシャで、しかも有力選手となれば・・・と選んだのは再度ニコ・ロズベルグ選手。他に良いのが見当たらなかったので、早速それを画像処理ソフトに導入して簡単に仕上げてみました。

しかし、アッというまに時間は過ぎ、間もなく2回目の練習走行が始まる17時になろうとしていました。急遽画像処理や文字打ちを止め、観客席に戻り撮影の準備を始めました。
 
この時に気付いたのですが、1回目の練習走行開始時も同様で観客が殆どいません。時間を気にしていないのか、スタンド外で暑さを避けています。小生は撮影準備や、何処で撮ろうかとロケハンの必要もありますのでいつも早いのですが、それでも10分前には臨戦態勢です。

そして走行が始まりエンジンが聞こえてもまだ殆どの観客はスタンドの外にいます。どうも着席しているのは海外からの観光客の様です。そう、原住民は初めてのF1なので、まだ全く慣れていない様子なのです。

こちらが必死に撮影をしていると、その横をドタドタと歩いて席に向かうので、流石にスタンドの足元が揺れて、一脚での撮影でもブレてしまいます。これは計算外でした。一脚を外して手持ち撮影にしようかと考えましたが、金曜日の練習走行なので観客はさほど多くなく事なきを得ました。

しかし、この観客の少なさは土曜日も日曜日も続きました。本選日で半分強しか席が埋まっていなかった印象です。そりゃそうでしょ、チケットの値段が高すぎます
日差しも17時を過ぎると流石に弱くなり、太陽高度は30度程度。終了時の18時30分には17度程度まで落ちていました。お陰様で少し位涼しかったです。しかし、夕方は逆光になってしまい、マシンが建物の陰に入ってしまう悪影響もありました。

それでも無事に初日を終え、早速無理をせずディリーストアーに立ち寄りビールと事実上の食事であるつまみを買って宿に戻りました。そう書き忘れていましたが、宿は朝食付きだったのですが、起床時間が昼の12時だったので食べ損なっていました。

部屋に戻り冷房を効かせて速攻でビールを飲み、そして画像処理を続けホームページを20日ぶりに更新。同時にヤフーブログも更新。その間に風呂に入り、再度排水詰まりと水漏れと格闘し再度ビール。

ピットウォークの模様とニコ・ロズベルグの写真をアップして休憩。ネットで日本の番組を見てまたビール。

一年でこの時しかお酒が飲めないので、徹底的にビール。暑いのでビールが美味しいです。ここクィーンズタウンは最高気温が25度程度で湿気もなし。ビールを全く飲まなくなりました。夜間はいつ出現するか分からないオーロラの出現に備える必要もありますしね。 
 
この日も洗濯をし朝方まで過ごして寝ましたが、流石に朝食を食べて頑張らないといけないので、午前9過ぎには起きました。

朝食はパン、スクランブルエッグ、キュウリ、トマト、シリアル、牛乳、オレンジジュース、ウィンナーなどの普通の朝食でしたが、やはり栄養を摂っていない自覚がありましたので、野菜を懸命に食べました。

そして10時には部屋に戻り、SDカードのコピーを行います。初日だけで何千枚もの写真を撮っているので、64GBのSDはあっという間に写真で一杯になってしまいます。数枚は空のSDが必要になります。

3回目の練習走行は14時スタートなので、この日もこれまでの欧州旅行での疲れを取りながらの出動になりました。
 
しかし気温は既に30度越え。毎日2リットルのミネラルウォーターを購入して冷蔵庫で冷やしており、それを600mlの小さなペットボトルに入れ替えて出動。この日から近道を利用してスタンドに向かいました。時間はもう13時40分。結構寸前です。

しかし、2日目だというのにゲートでトラブルです。前日には何の注意も受けなかったのですが、その水に関してです。初日には無かった注意書きの看板を見せられ、ここに書いてある通り持ち込める水は100ccまでだと言われました。

「いやぁちょっと待ってくれ。この炎天下で一人一日100ccの水しかダメというのは殺人だ」と言いましたが、規則なのでと没収されかけました。それなら100ccになるまで500ccを飲むと決め、多くの係員と大声で揉めながら飲んでやりました。

時間もないので先方の意見を聞いてやった感じです。もしそうでなければ「お前らアホか。この天気と気温で100ccの水しかダメって、お前ら観客を殺す気か」ともっと大喧嘩していた事でしょう。

まあ初年度なので大目に見てやっていますが、こいつら本物の馬鹿だと言わざるを得ません。結局、中に入場してから水を買え・・・と言いたいのでしょうが、飛行機の物真似そのままなので笑ってしまいましたとさ。

さて時間もないので早速スタンドに入り、1時間だけの練習走行3回目を撮りました。殆どの人が退席しましたが、小生はスタンド最上段に行き景色を撮っておりました。

するとマーシャルカーが2台もやって来て目の前で停車。車からサングラス+白いシャツの人々が降りて来て、またコースマーシャルもやって来て臨時に取り付けられた鉄板縁石を蹴り、その固定具合を確かめています。

「あっ、これが昨日トラブルの出たやつか」とずっとその様子を見ていました。トラブルとは、この縁石が一部道路に固定されておらず、その為に90%の左リアタイヤにダメージを与えていたことが判明したのでした。

このサーキットは小生の陣取ったT16(16コーナー)からピットストレートまで緩やかなカーブが続くが、アクセルはほぼ全開の直線コースと同じだそうで、市街地サーキットなのに最高時速が340キロにもなる恐ろしいサーキットなのです。

もしタイヤが鉄製縁石の浮き上がりで一部カットし、そのまま時速340キロで走っている最中にタイヤがバーストしたらさてどうなるか。私はそれも見越してグランドスタンドには陣取りませんでした。恐ろしいサーキットです。

縁石の確認は5分ほどで終わりましたが、3か所のコーナーで縁石の撤去が行われたそうです。

さて15時過ぎに遅いランチとなりキャバブとビールを買い、芝生で昼食を摂りましてござる。

そしてその時にゲートから入って来たフォーマルな服装をしたカップルの女性の手に目が点になりました。なんと、600mlの水が満たされたペットボトルをそのまま持ち込んでいるのです。誰も注意をしていません。素通りです。

???でしょ?

小生には100ccしか持ち込めないと言っておきながら、上流階級の人々には水の持ち込みを許しているのです。これがアゼルバイジャンの当たり前みたいです。

小生があと10歳若かったら、恐らくそのゲートにラッシュして文句を言いまくっていたでしょうが、もう50歳を過ぎて世の中のワケワカラン事を何度も目の当たりにしてきた関係で、こんな中東の人間とは分かり合えるわけがないと諦めてしまいました。

それよりも迫力のある写真を撮る事に全神経を集中させる事にしました。その為に今年もBORG望遠鏡にレデューサーを付けて持ってきたのですから。
 
しかし、17時からの予選を撮っていて体の異変を感じ取りました。それはレンズの先に添えている左手の指が反り返る様な感覚でした。自力では戻せず、結局右手の助けを借りて戻す感じでした。

そしてこう思いました。「もしかしてこれって栄養不足???

恐らく正解でしょう。カナダ、ドイツ、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、スロバキア、ハンガリーとやって来て、まともな食事をした覚えがありません。これはやばいと思い、その夜は結構ちゃんとしたアジア料理のレストランに入り、まともな食事をしました。

その後、そのレストランの真横にあった延々と続く階段を登り夜景の綺麗な丘に参りました。疲れているのだからロープウェイに乗ればよいのに、夜景を撮るには適さないので歩き始めてしまいました。

結局山頂展望台まで階段を何百段も登ってしまいました。しかも、中型三脚も抱えています。
 
山頂で夜景を撮っているといきなり大きな花火が打ち上がり、まさに前夜祭が始まった感じでした。多くの人々が花火に夢中になっていました。小生も30秒ほどシャッターを開けておりました。

帰り道も階段を使い、最後は遅くまで営業している馴染みのディリーストアに寄り1Lのオレンジジュース、2Lのミネラルウォーター、500mlのビールを4本、そしてビタミンC接種の為にイラン産干し果物を箱ごと買いました。部屋に戻りそれを2個まとめ喰いし、オレンジジュースを飲みビタミンを補ったつもり。お陰様で翌日の決勝日は元気でした。

決勝は17時からなので、思い切り夜更かししたつもりでしたが、朝食のサービス時間が午前10時までなのでやっぱり9時30分には起床してました。しかし、戸外は暑いので観光にも出ず、体力を温存しておりました

そして17時スタートの決勝に向けて部屋を出発し、慣れたコースでスタンドまで歩いて約7分。この日もセキュリティ検査がありましたが、水も少なめに持って行って何も言われないで済みました。

しかし、決勝当日でも観客は半分強しか座席を埋めておらず、最も人気のあると思われたAZNEFTスタンドでこの有り様なので他は悲惨だろうと思っていましたが、映像を見る限りやはり空いていたみたいです。 

流石にグランドスタンドは結構埋まっていたみたいですが、その他は半分強しか埋まっていません。かなりの不人気です。来年はチケット代金が下がるのではないでしょうか。
それよりも上流階級の人は我々が通れない地下通路を優先的に通っている事や、入場待ちの観客を蹴散らすような電動カートでの送迎とその格差差別は甚だしく、あれだと小学生でも気付くと思います。

産油国ならではないのでしょうか、それともイスラムの教えなのでしょうか、それとも単にアゼルバイジャンの常識なのでしょうか。もし常識なのであれば、来年の観客数は大幅に減るでしょうね。あの差別待遇はみっともないですからね。

さてレースはまたニコ・ロズベルグが勝ちました。私がグランプリに伺うと過去2回は彼が勝っています。
今回はグランドスタンドから最も遠い所で撮影していたので、残念ながら表彰式でコースへの乱入は叶いませんでした。これはまた再来年のGPで。ホンマかいな。 
 
スタンドを立ち去る際に仲良くなったボランティアの若者達とハイファイブでお別れし、少しばかり周辺を散歩し歩いて宿に戻りました。勿論ビール等の燃料も持ち帰りました。アイスクリームが切れていたので、また1L箱を購入してしまいました。

部屋に戻り祝杯を挙げて、まや夜更かしして寝ました。翌日の事は何も考えないで。

そして月曜日は観光でもしようかと思っていましたが、やはりこの国の階級差別の事が気に入らず、これだと観光をする気にもなりません。

そこでサーキットコースをぐるっと周ってみようと思い、カメラ片手に誰もいないスタンドに入ったりして、どんな感じでサーキットが見えているのかを確かめました。しかし、どれも高速で通り過ぎるものばかりで面白くなさそうでした。

フォークリフトが何台も作業を開始しており、フェンスとその土台であるコンクリートウォールの運搬を開始していました。一周の長さがさほど鈴鹿サーキットと変わらないのですが、それを全てコンクリートウォールで埋めたのですから、その労力やら莫大な量であります。

そしてこのレースの為に新しい舗装もしましたから、相当なお金が動いたはずです。

そんな事を考えながらぐるっと回り、最後はカスピ海沿いに歩いて宿に戻りました。この夜は相変わらず徹夜で荷詰めを行います。次の訪問地である日本へのフライトが早朝5時20分なので、午前2時過ぎにはタクシーに乗らなければなりません。

宿をチェックアウト前に荷詰めし、風呂に入りました。タクシー乗り場はあってないようなものなので、スーツケースを引きずってコンクリートフェンスが撤去されたところまで来てみたら、そこに数台のタクシーの姿。いつもよりも5マナト高いですが、F1料金だと言われました。まだ交通規制をしているので遠回りするからだとの事。

それもそうです。いきなりレースコースを逆走状態。そこから高速道路を目指してくれました。5マナトはコースを走ってくれたチップみたいなもの。

そして空港までの30分弱で英語が流ちょうな運転手と色々と話が出来ました。題目は勿論階級差別についてです。答えは想像通りでしたが、運転手は何故そんな当たり前の事をとやかく言っているのか・・・といった感じでした。

下級民衆たちは、上流階級の人たちと差があっって当然だと思っている事が分かりました。しかし、海外に行けばそんなものは有り得ず、故に多くの観客が階級差別を味わい、嫌な思いをしたに違いない。これが広まる来年は観客が大幅に減るだろうと言っておきました。

もし貴方(運転手)が海外からの観光客を乗せたければ、これらの階級差別は弊害になる事も付け加えておきました。

空港に来てみれば午前3時前だというのに、多くの人々がいます。そこまで飛行機が多いのかと思い、発着ボードを見ると、それなりにあります。
小生はルフトハンザ航空利用なので、一度ドイツのフランクフルトに戻ります。そしてそこで5時間丁度の待ち合わせで関空便に乗り換えます。

ここ数年このパターンが多く、日本には欧州に寄ってから帰省しています。

関空に定刻に着き、直ぐにスーツケースをABCに行って自宅まで託送してもらう様にアレンジし、カメラバッグも極力軽くして南海電車に乗り込みました。あとは駅前ビル地下で一杯やって、ヨドバシカメラなどに寄り買い物をし自宅に戻りました。 

大阪の実家に5泊し、1泊は両親と温泉旅行。結局6月28日には出国となりました。しかし、中国南方航空が広州付近の悪天候の為に500キロも先の空港にダイバートとなり、天候回復後に広州に着陸出来ましたが、AKLオークランド行きの便にはぎりぎり乗れませんでした。

自動的に深夜便に振り替えてくれていましたが、プラスAKLでの後泊も加わり、結局24時間遅れでクィーンズタウンに戻りました。

今回はアゼルバイジャンという馴染みのない国にF1を見に行ってきましたが、2年前のオーストリアGPもそうでしたが、主催者側が慣れていないので相当疲れました

オーストリアGPはバス停が遠いなどの物理的な事で疲れ果てましたし、観客席も無茶苦茶で「こりゃ駄目だ」と思っていたら、案の上、今年のオーストリアGPはスタンドが半分ほどたたまれており、撤去もありました。観客数は2年前の半分程度ではないでしょうか。

そりゃそうでしょ、あんな盆暗やってたら誰も来ませんわ。

そして今回のバクー市街地サーキットですが、上手くオーガナイズされてはいましたがやはり階級差別が目立ちます。これも観客を失う大きな原因だと思います。

まあ見てなはれ、2年後はもう止めようか〜って言ってますよ。正直、あのサーキットではドライバーの命も危ういですし、スタンドからの観戦も面白くはありません。

チケットは高いし、TVで見ている方がよっぽどましなレースだと言わざるを得ません。皆様の参考になる事があるか分かりませんが、とにかく二度とご免です。 

今回も数万枚の写真を撮りましたので、それは撮影のコーナーにて展示予定です。お時間がありましたら寄っていって下さい。
 






F-1観戦記に戻る
F-1 TOPに戻る



inserted by FC2 system