1988年アデレイド(その2)
 
 さて、鉄柵の隙間を求めて、第9ターン以外に写真が撮れる場所を、太陽の位置と相談しながら、コースを逆周りに歩いていると、やって来たのが第5ターン。
暫く足を止め、鉄柵の隙間と相談していると天の方から声が聞える。「HONDA! HONDA!」 と連呼している。

上を見ると、そこにある建物の2階テラスから、一人の白人男性が小生を呼んでいるようだった。
しかも、英語で話し掛けて来る。

まだ英語の世界に身を投じたばかりで、流暢な英語が出る訳もないが、ここは冒険に来た訳だからその背広の男性との会話を決意する。彼はとにかく(2階に)上がって来い!と言っているのである。
小生は1年間NZに住む為の資金を全て持っていたので(結構大金)、どうしようか迷っていた。

それでも、彼が背広だし、ネクタイもしていて、中々ええ感じだったので、意を決して2階に昇ったのである。
どうも、その建物には多くの会社が入居しているようだった。「でも、どうして平日なのに、殆どの会社が休みなのか・・・」と不思議だった。

さて、彼が呼びかけて来た所に来ると、入口はスケルトンのドアーで、その中身が外から良く見えていた。
入口にはACCOUNTANT PHILL TUCKERと書いてある。
アカウンタントって・・会計士!
透明のドアから見えるのは、沢山の人と、足元の発泡スチロールだった。
早速入ってみよう。

先程声をかけてくれた背広の男性が迎えてくれた。
手には、ビールの缶を持っている。
どうも酔っ払っているようだ。
間髪つかずに、ビールを渡され、事務所内の机上に置かれたFINGER FOOD(つまみ)を食え!と言われた。

皆さんは、招待客のようで、ドレスアップしている。
そこに、ホンダの帽子を被った、全身まっきっ黄のワンピースを着た「謎の東洋人」が乱入した訳だ。

しかし、そこはオージーだった。
明らかにドレスコードを犯しているいる小生を、快く迎えてくれた。
それより、一同は小生の周りに集まりだし、「お前は一体何をしているのか・・・」と質問攻撃を受ける。

「しまった! マウントハットスキー場での3ヶ月をサボったから、英語が話せない」

この際だから正直に申し上げるが、やはり未知の場所で不安になり、結構日本語を駆使してスキーを2ヶ月もしてしまった。故に、実践では英語が使えんかったわけだ。
しかしヤットの事で、大学を出ているにもかかわらず、こんな所で放浪しているのかを理解してもらい、社長のフィル・タッカー氏との対面も済んだ。
おまけに、撮影場所を探しているのなら、事務所のテラス越しに撮れ! と、先程小生に声をかけたおやじさんがいた場所に連れて行ってもらう。

スライドドアーを開けてテラスに出ると、そこは鉄柵が全く邪魔にならない絶好の撮影地。コリャすごい! おったまビックリ
「期間中は毎日、好きなだけ撮っていいぞ。」という、神様の様な一事を頂戴した。
しかも、その特別地域に入るフリーパスも発行してくれる事になった。

「ああ、派手な格好しておいて良かった」と思った。

しかし、やはり魔の手が伸びて来た。
最初に小生に声をかけたおやじさんが近づいて来て、こう言った。「お前1人だけなんか? 仲間はおらんのか?」
最初は意味が分らなかったが、次の言葉で理解出来た。「ジャパニーズレディは?」

彼は小生の会話の中で「明日は仲間と合流するんだ」という一事を聞きつけ、もしかしたらBEAUTIFUL JAPANESE GIRLがいるのではないかと思ってこの様に聞いて来た訳である。

勿論、仲間の中に日本人女性がいたので、「いるよ」と答えると、彼は社長のフィル・タッカー氏にこう言った。
「おい、フィル!奇麗な日本人女性も来るらしい。その子達にもフリーパスを出してやれよ!」

酔った勢いで言った一言だったろうに。しかし、答えはOK。
小生は、別地域への入場許可チケットを仲間全員分ゲットしてしまった。
しかも6枚もだ。

翌日、仲間に会う時が楽しみになって来た。

土曜日。昨日の予選に引き続き、今日が2日目。マクラーレンの2台がブッチギリで速かった。
セナはロータスから移ったばかりの初年度。既にポールポジション争奪戦に参加している。相手はチームメイトのアラン・プロスト。

そんな結果に右往されている場合ではない。小生はレースより撮影命。昨日、とうとう中古カメラ屋を見つけ、テレコンバーターレンズ(倍率増強レンズ)を買ってしまった。
これで70-210ミリレンズが300ミリ程度になった。今から考えれば、映像の善し悪しは理解不能だったようだ。

午前中は第9ターンで撮影。最高の一枚を得る事が出来た。
しかしアデレイドは、どのコーナーもブラインドで、車が突然コーナーから現れてくるので中嶋さんを撮ろうと思っても、チームメイトのネルソン・ピケだったり・・・と、かなりのフィルムの無駄使いをしてしまった。

それでも、この第9ターンでの撮影は実りが多く、タッカー氏の事務所テラスからよりも良い写真が撮れた。たった一枚だけ。

さて、午後になって仲間と御対面。
特別フリーパスを差し上げると喜んでくれて、皆さんで、もちろん女性も連れておじさんの待つ、タッカー氏の事務所へ。

おじさんは、待っていてくれたのか、それとも飲み明かしていたのか、今日も背広にネクタイという井手達。流石ビジネスマン。
仲間の女性にはこの話はしていなかったが、仲良くお話をしていたようだ。喜んで頂けたかな。

予選後は、皆を連れてサーキットを案内し、特にチケット、宿の予約をしてくれた彼女には心から感謝すると共に、NZ帰国時にメルボルンに寄るので、その時に会う約束を取り付けた。

自由席エリアを歩いていると、鋭い視線を感じた。チャンネル9のテレビカメラである。
派手な格好は、オージーの好きなアイテムなのか?その後、放送されたかどうかは知らない。

本選は暗いうちに起きて、第9ターンへ。
この日は34度と比較的涼しく、曇天。撮影は取りやめにして、レースに集中。エンジン音を録音したりして過ごした。
途中、ディレック・ワーウィックがエンジン不調で止まる時の音が奇麗に録音されていたのを思い出す。

レース終了!
もしかしてシャンペンファイトに間に合うのか・・・で、とりあえずコース内に乱入し、メインストレートに向かうが表彰式はとっくに終っており、ゴムの破片とフランス国旗を振る若者を撮って、小生のオーストラリアGPは終ったのでした。

翌日はゆっくりで、仲間の女性と丘に登ったりして時間を過ごし、メルボル行きの夜行バスに乗り込んだ。
しかし、途中から寒く冷えて来たらしく、真夜中の休憩はまるでスキーバス状態。
そりゃそうだ、メルボルンに着く頃には、路面に積雪している。

アデレイドは38度なのに、メルボルンは雪。
恐ろしや、オーストラリア。

その後、メルボルンで3泊するつもりで、安ホテルにチェックインするも、疲れからだろうが
24時間連続で寝てしまった。
その間、2回だけトイレにたった覚えはある。8時間毎に。
爆睡とは、こういう事を言うのだろう。
 





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