2008年 フランス・マニクールサーキット 
 
 
F1サウンドはもしかしたら麻薬の様なものなのかも知れない。

若い内に、身体が動くうちに距離のある所から海外旅行の目的地として撃破しているつもりだが、やはりニュージーランドからフランス行きはかなり遠い。
そこで今回は、子供たちの語学研修の為に3月末から日本に行ってしまった家族に会おうと、日本経由で出撃することにした。パパは長い間、自分で自分の世話をしていた訳です。いつの間にかランドセルを祖父母、早い話、小生の両親から買ってもらったようで、長男坊は毎日それを担いで小学校へ登校しているようだ。

先にJapan Rail Passを使っての日本一周旅行を懲りずに今年も敢行しし、それから慌てて帰宅して荷詰めをしたのだが、前日に風邪を引いてしまい、荷詰めが終わったのは出発当日の早朝であった。結局、そのまま一睡もせずに関西国際空港に行くために特急はるか号に飛び乗った。なんせ選んだ航空機会社は大韓航空でソウル経由になるからして、関空には午前7時40分にはチェックインを済ませねばならなかった。

しかし、徹夜が功を奏して先に入ったロンドンでも時差ぼけが殆どなく、翌朝のユーロースターのチェックイン時間である午前6時25分には寝坊もせずに駅にたどり着いていた。まあ前夜までに列車の搭乗券を手に入れていたので、慌てる事は何もなかった。しかし、イギリスの物価は相変わらず高くて、ハンバーガーチェーン店でのセットが軽く1000円を超えている現実を目の当たりにして、日本もニュージーランドも物価が「まだ安い」と思った次第であります。

ユーロスターが発着するセントパンクラス駅近くに取ったホテルに入ったのは午後7時を過ぎていたが、ロンドンもNZ同様に日没が遅く、まだまだ沢山の観光地に出撃出来た。ロンドンブリッジ、ビッグベンなど。夜の一人歩きは危険って?あれだけ観光客がいれば、大丈夫な気がするが。

6月17日にロンドンに入り、18日のユーロスターでパリ経由、TGVを乗り継いでエスカルゴとマスタードで有名な街ディジョンへ向かった。
サーキットではレンタカーを乗り入れてのテント生活を予定していたので、日本に住む弟にサバイバル用品一式を借りており、燃料タンクと水以外はそれを活用させてもらった。勿論寝袋、カップヌードル等の食料もスーツケースに詰めて持参した。

早い話、マニクールの空の下で湯を沸かして食事を準備したのである。

まあここまでの行程を書いてみたが、非常に何事もなく進んだようだが、実はユーロスターを降りたパリ北駅から、とんでもないハプニングが連続して起こっていたのである。相手は全てフランス国鉄である。

ユーロスターの到着駅であるパリ・北駅からディジョン行きTGVの出発駅であるパリ・リオン駅までの移動に87分を見積もっていたのだが、北駅の券売機10台が全て故障しており、ここで20分のロスをし、結局窓口に並びプラス20分かかって切符を手に入れた。乗車区間は2駅間で、所要時間は8分、金額は1.5ユーロ(約250円)の切符を買う為に合計で40分もかかったのだ。

これには現地の人も首をひねっており、殆どの人が地下鉄に流れた模様。小生も地下鉄を考えたが、地下鉄は駅数が多く、またとんでもない体積の荷物を運んでいたので国鉄を使うことにしたのだ。

そして17分後にパリ・リオン駅に到着し、TGV出発までは残り30分。30分もあれば、通常は余裕でホームにたどり着けるはずだ。しかし舐めてもらっては困る。相手はフランス国鉄だ。TGVのホームが何処なのか全く表示がないのだ。英語が分かるフランス人を捕まえ、やっとの事でTGVのホーム前まで来た時には残りが15分を切っていた。慌てて予約番号と支払いに使ったクレジットカードを出し、搭乗券引き換えマシーンと合い向かった。

しかしだ、一台目の機械・・・ダメ。
二台目・・・ダメ。
その隣・・・ダッメ。
最後の一台・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ダメ。

残り時間3分。

恐るべしフランス国鉄の機械。
北駅の窓口でこの事態を想定してTGVの搭乗券への交換を申し出たのに、窓口のスタッフはそれを認めなった。おまけに非常に冷たい態度だった。

仕方がないので、搭乗券なしで予定されていた座席へダッシュし、何とか出発に間に合った。しかし、車掌はそれを許さなかった。通常価格を直ちに支払えときたので、英語で説明を開始。しかしフランス語でしか話さなくて、どうしようもない状態。
海外からの乗客に「フランス語を話さないお前が悪い」と言いたげな態度である。日本、ニュージーランドでは考えられない不親切振りである。やっぱりフランス人は使えない。

交渉の結果、全ての機械が使えなかった事を理解させ、到着駅で返金を受けられるという条件で通常価格のチケットを買った。
しかし、今となっては予想が付くが、80分も駅カウンターで交渉するも、返金なんぞ絶対に受けられない事が判明。車掌はそれを知っておきながら通常価格を払わせたのあろう。国鉄で詐欺があったと報告するするべきであろう。

駅カウンターの人間も全く使えないし、そのマネージャーもフランス語しか話せずに、交渉は長引いた。90分も損をしてディジョンの観光が短くなった。

もうこの辺りでフランスに来るべきではなかったと思い始め、とりあえず唯一の楽しみであったエスカルゴ、牛肉の赤ワイン煮、シャンパン・・・を夕食に頂くレストランを捕捉してからテント生活の必需品を買い求めて街を歩いた。最も困難な買い物だったのが、ブタン燃料だった。どのスポーツ店にもなく、諦めかけた時に立ち寄ったパブレストランで販売店を偶然に教えてもらえた。もし燃料がなければ、現地で食事を買い求めて、トンでもない食費がかかったと思われる。しかし、そこで飲んだビールは5.30ユーロ。900円である。ビール一杯がこの値段だから凄い。

お陰さまで燃料を購入出来、その後は観光と撮影に精を出し、最後は国鉄のことでむしゃくしゃしていたので、最寄のアイリッシュパブに入った。喉も渇いていたし。
流石は思い切り英語で店員と会話が出来て、ビール(500cc)を立て続けに3杯も飲んだ。ここは一杯4.3ユーロだった。730円である。

ディジョンを後にしてパリへ戻り、予約を入れておいたEuropcarというレンタカー店で車を受け取り、近くで1.5リットルのミネラル水7本、ワイン、コルク抜き、コカコーラを買っていざマニクールへ出撃したのでした。

長い長い前ふりでした。

さて、左ハンドル、マニュアルミッション、カーナビなし・・・という、皆様にとっては三重苦とも思われがちなレンタカーではありますが、とりあえず太陽の位置を確認しながら、事前にGoogle地図を要所要所で印刷してきており、それを見ながら進路を一路マニクールサーキットへ向けました。
国道6B号線の高架道路に入り、多くの分岐と合流を横目に見ながら高速道路をひた走ります。

フランスの高速道路は比較的安くて助かりますが、燃料は凄い。10リットル入れるだけで、2000円を軽く超えてきます。正式には1リットル1.57ユーロ位だったので1ユーロ=170円で計算すると、日本円で1リットル267円にもなります。自分の車はルノークリオで小型車なのにディーゼルエンジンでした。しかしフランスはディーゼル価格がガソリンと差ほど変わりなく、0.05ユーロしか安くありません。1.52ユーロとしても40リットル入れれば10336円になります。恐るべしフランス。そうそう、田舎ばかり走ったので、ガソリンもディーゼルも都市部よりも高かったのではないでしょうか?

パリを出て順調に南下を続け、途中でお腹を満たすためにピットインして水分を補給。前日ビールを飲みすぎたので喉がカラカラでした。1.5リットルのコカコーラで水分補給し、大きなツナサンドを食べて、トイレを済ませて再び高速に合流しました。

余裕があれば途中にある2つの古城を撮影しようと思いましたが、マニクールは意外と遠くて、制限速度の時速130キロで走っていてもちっとも近づいて来なかったのです。

実はこの日、2008年6月19日は木曜日なのに午後3時30分以降にピットが開放となり、マシンを目の前で撮影出来るという願ったり叶ったりの嬉しい催しがあったのでした。いつもサーキットを走るマシンしか撮れないので、この日は全てのレンズを持ち出して撮影をしてきました。でも結局一番使ったのは魚眼レンズでした。一脚の先にカメラを付けて、12秒後にレリーズする設定で人垣を超えて撮影が出来ました。タイヤ交換も目の前で演じられて(?)おり、スタッフは汗だくでした。本番は耐火服を着ているので、もっと汗だくだと思います。

ピットを1往復する頃には人で溢れ、撮影も大変でしたが、ウィリアムスのピット前で粘っていたらニコ・ロズベルグがレーシングスーツで現れ、なお粘っていたら中嶋一貴も登場。望遠ズームレンズに交換し、撮影を続けました。

1988年のオーストラリアGP(アデレード)でピットに張り付き、中嶋悟のお付きだったティム・デンシャム氏にピット内に入れてもらえた思い出が蘇りました。
そう言えば、その時撮った写真は何処に行ったのだろう。

2往復もしたら人垣に疲れてしまったが、結局最後まで居座ってしまい、最後はロープを横渡しにされ、追い出されてしまいましたとさ。

新調して日本一周旅行でも酷使してきたカメラ、ペンタックスK20Dだが、下にバッテリーパックを取り付けて、合計で3つのバッテリーを準備して、しかも車のシガーソケットからインバーターを使っての充電まで出来るように準備してきたが、バッテリーのもちはかなり良くて、結局マニュアルレンズを使うと1000枚以上の撮影が出来て、しかもなおフル充電の表示のままだった。結局バッテリー3つは多過ぎでした。まあ保険みたいなものでしたけど。ちなみに予備バッテリーはROWAで購入。純正品とは何ら変らない活躍をしてくれて感謝しています。今後はオーロラ、天体写真の撮影でも張り切って頂こうと思います。

さて、その晩のこと。久しぶりにチキンラーメンを食べた。美味かった。しかしブルゴーニュの片田舎の空の下で食べる即席ラーメンは、また格別な味であった(笑)。

夏至の直前で気温は高くなく低くなくで、夜も弟に借りた寝袋で十分暖かかった。日没は午後10時10分という遅さ。ニュージーランド・クィーンズタウンでも午後9時35分という日没の遅さだが、ここはもっと凄い。しかも、その時間から周辺は盛り上がり始めた。真夜中になっても大音響で音楽が鳴り響いており、結局殆ど寝ていない。しかも、お隣さんが、テントを設営した後に発電機を小生の車の側に設置し運転を始めた。お約束を守らない人種というのはもう分かっていたし、すでにテントを張ってしまっていたので引越しはしなかった。それにしても使えない連中である。
発電機の音は鈴鹿のテントサイトで慣れていたので苦にはならなかったが、一度午前3時頃に終了した大音響が、午前4時30分から再び始まったのであった。

結局朝まで鳴り響いており、誰も文句を言わない。郷に入れば郷に従え・・・ということで様子を見ていたが、初日から思いやられる出来事が始まった。
殆ど寝ていないままで、歯を磨きに出撃した。前年までは3日券を持っていたら、金曜日だけ特定の指定席以外ならグランドスタンドC席にも入れる・・・と書いてあったので、歯を磨きながらゲートのにーちゃんに英語で語りかけると、そんな制度は今年はないぞ・・・とのこと。慌てて出撃をしてメインゲートまで行き、それなりのスタッフに聞いてみるが、結論は同じ。そのチケットは、チケット購入時にオプションで付けるべきだと言われた。

彼らのサイトにはそんな一文は何処にもなくて、小生の小さな希望はもろくも崩れ去った。C席とA席での撮影を楽しみにしておったのに。ニュージーランド帰国後に確かめたら、プラス50ユーロ出せばいけたようだ。しかし、チケット購入時にこんな特典はなかったぞ。流石はフランス。使えない族ばかりだ。

仕方がないので、チケット通りのB席に向かい、一番レーシングコースに近い場所に勝手に座り、一脚+ペンタックスK20D+バッテリーパック+SMC500ミリレンズ・F4.5+1.4倍リアコンバーターをセットし、カスタムイメージは「鮮やか」で彩度+2、色相0、コントラスト+1、そして裏技で有名なファインシャープネスの+4に設定し、連写モード、ダイナミックレンジ200%にしたり、戻したり。
最初はシケインの縁石でジャンプする車両を撮るので、絞りも中間にして回析現象も考慮してNDフィルターによる減光は不要でしたが、流し撮りを始めや否や、ND4フィルターが必要になってきました。

実は晴天になるのを危惧して、このフィルターをもう一枚持ってきており、挙句の果てには日食撮影用のフィルターまで買ってきていました。流し撮りはシャッタースピードを1/30くらいまで下げるので、露出が大きくなりすぎます。ゆえにかなり絞るのですが、絞り過ぎると回析現象が出てしまい、画像がぼけてしまいます。その為に黒いフィルターで減光してやるんですね。

シケインではトヨタのグロッグが一番飛んでいました。シケインの一つ目で右タイヤを縁石に乗せ過ぎであります。面白かったけど(笑)。
写真はこのコーナーに展示してあります。

さて、金曜日の午前中は雲が多く、まさかあんなに日焼けをするなんて思いもしませんでした。午後のセッションが始まる頃には晴れ渡り、殆ど真上から刺す太陽が左腕を直撃。その夕方にはヒリヒリする始末。冷たい水をかけてはみるが直ぐに痛くなるので、ここで天下の宝刀であるプロポリスの登場である。今回は液体プロポリスと15%のマヌカ蜂蜜を念のために持ってきており、早速役立つときがやって来たわけです。水で薄めたプロポリスを日焼け部分にかけるのである。

ヒタヒタと何度もかけて、夕食の準備にかかった。今晩の夕食はカレーライスである。ブルゴーニュ地方マニクールの空の下でカレーライスである(こればっかりや)。
お湯を沸かし、銀シャリを15分温め、最後にレトルトのカレーを温めた。銀シャリご飯は量が完全に少なく、途中でお腹が満たされないことが判明。慌てて、スパゲティを温めて、余ったカレーをかけて食べた。

なんと午後6時前から夕食を食べてしまったので、かなり時間が余ってしまった。そこで見渡す限りのテントとハチャメチャな事をしている野郎共の姿を撮影してやろうと、1000ほどはあるテントを片っ端から訪問してやろうと決意した。結局は良い絵が撮れないかという、被写体探しの旅になったのだが。

まだ太陽が高い内から訪問を開始したのだが、すでに連中は「酔っていた」。わっははははは・・・。
謎の東洋人が来襲し、写真を撮らせてくれとカメラを向けるもんだから、そりゃ盛り上がってしまい、「お前も飲め!」状態。結論から申し上げると、この様に盛り上がるフランス人は皆若い人ばかりで、年を取るにつれて、謎の東洋人を毛嫌いする感じがした。写真を撮らせてほしいとカメラを指差すと、断ってくる人もいた。

結局、一番最初に小生に興味を持ってくれた団体から、高濃度のアルコールを一気飲みさせられることとなり、撮影が終わったら戻ってくるからと約束して許してもらう始末。その度数がなんと45度もあったからだ。テキーラのショットグラスどころではない。250ccは入るコップで一気飲みだからだ。お陰様で、テント訪問では良い写真が撮れた(?)ようだ(笑)。

そしてお約束通り彼らの元に戻ったら、よりまずいカクテルを出してきた。メンバーもどんな味なのか分からないくらいのごちゃ混ぜカクテルなので、結局皆で味見をする始末。しかしまだまだ波々みと残っており、皆で仲良く酒盛りが始まった。勿論小生は手ぶらだ。

今回は若手の親父さんも出てきて、ツマミも差し出してくれた。皆さん小生に合わせて英語も交えながら、フランス語で話しかけてきてくれた。結局フランス語が大半だが。するとどうだろう、そのお向かいのパーティも盛り上がってきており、消防士のコスチュームや、消防自動車の座席もサイレンも交えながら、2団体でごちゃ混ぜ飲み会が始まってしまった。
小生のカメラいつの間にか連中の手に渡り、適当に撮影してやがる。知らない間に誰かの尻も撮られており、奴らとの撮影も盛り上がった。後で気付いたが、魚眼レンズ表面には、沢山の指紋が残っており、かなり酷使された様子(笑)。

そんなこんなで無茶苦茶になった時、直ぐ近くでエンジン音が鳴り響いた。出国前にYou Tubeでこのテントサイトの映像が流れており、至る所でエンジン単体を持ち込み、爆音を皆に聞かせて満足するという芸当が氾濫していた。小生のテント近くだけで6機のエンジンがその爆音を響かせていた。

「何故わざわざエンジンを運んでくるのか」と聞いてみたら、フランス人はエンジン音が好きだから・・・と返ってきた。勿論マルチシリンダーの様な爆音ではない低い音が鳴り響いているのだが、とにかく音に関してはフランス人の感性が少し我々と違うのかも知れないと思った。

結局その爆音を聞いてその場を離れた。
テントに戻ったのは、恐らく午前0時頃だったと思うが、とんでもカクテルのお陰と指定席を押さえていたので、時間なんぞ全く気にもしていなかった。

結局午前2時頃まで撮影した画像を小型パソコンに取り込む作業に追われ、真夜中だというのに車のエンジンをかけて各種電化製品をインバーターを使って充電開始。その後、まだ列の出来ているシャワーの列に並びに行った。午前2時を回っているのに、前には何名もの同業者がいる。このままでは何時にシャワーを浴びられるのか分からない状態である。

そこで3人前に並んでいた男性が起死回生のアイデアで小生を導いてくれた。それは女性ブースの使用だ。この時間に、しかもテントサイトに寝泊りをする女性はごく少数だ。ゆえに誰もシャワーなんぞ浴びていない。彼に続いて小生も女性ブースに失礼したら、運良く一つ開いていて早速シャワーを浴びる事が出来た。

しかし、予想通りである。冷水とまではいかないが、どう考えても水であった。まあ、鈴鹿と違って真横にシャワーがあるし、調理OKなテントサイトに入るのに55ユーロ、約9350円を払っているのだ。この料金で3泊出来、しかもシャワーまで付いているのだから文句は言えない。ただトイレットペーパーがないのと、この水シャワーは頂けないが。結局トイレットペーパーは、初日の夜にヌヴェールの街まで出撃して、マクドナルドで少し多めに拝借してきたのであった。

さあ、シャワーの間に酔いが回ってきたのか、全身をくまなく洗ったのかは良く覚えていない。気が付いたら、朝までぐっすりと寝ていた。しかも、大変静かな夜だった。前日の大騒ぎが嘘のようだった。恐らく大音響さえも受け入れないくらいの大爆睡だったのだろう。結局この夜だけが静かだった(笑)。

さあ3日目である。まだ土曜日である。滞在はまだ32時間も残っている(笑)。
今日はどう考えてもBスタンドでの撮影しか無理なので、F1のフリー走行に合わせてとにかくゆっくりの出撃であった。
一つ理由がある。それは左腕の日焼けが限界に近い状態だということ。本日晴れたら、撮影どころではなくなるかもしれないわけです。

しかし、やはり天候は良い。日焼け止めも売っていないし、持参もしていない。トイレットペーパーと日焼け止めクリームは必需品であった。

仕方なく炎天下に出るのは止めて、サポートレースが行われている時はスタンドに上がる階段下に日陰があるので、そこに陣取って立見で楽しんでいた。GP2の小林可夢偉を探したが、どうも早々にリタイヤしたのか、彼の車を見る事が出来なかった。カムイなんて名前なので、横断幕とか作って応援してあげればさぞかし喜ばれただろうし、目だったに違いない(笑)。しかし、小生はテント生活ゆえ、何もして差し上げられなかった。

さて、炎天下にも関わらず撮影は「やはり」続いた。長袖ラグビージャージを持参していたので、それを日焼け予防の為に着ての撮影と相成った。フリー走行、そして本気モード丸出しの予選と続いた。真正面の撮影に飽きてきたので、鈴鹿と同様に500ミリレンズを振り回しての流し撮りをすることにした。シャッタースピードを落とすためにレンズを絞るが、炎天下の晴天の下では絞り過ぎてしまい回析現象が出てしまう。そこで予め2枚も持ってきておいたND4フィルターの登場となった。

小生の500ミリレンズはF値が4.5なので、やはりF11辺りで撮影したい。しかし、流し撮りの為にシャッタースピードを1/60などにしようものなら、絞りはF45までいってしまう。これでは回析現象の餌食になるので、F11になるように減光フィルターで調整をしてやればよい。勿論ISO感度は100で、もしペンタックスK20Dのダイナミックレンジを200%にしたいならISOは必然的に200となってしまい、より減光してやらないといけない。

2005年の鈴鹿だったなぁ。S字のクリッピングを狙うのにシャッター速度が1/50で絞りがF11にするのに、かなりの曇天だったにも関わらず、ND4フィルターを1枚入れたっけな。あの時こう思っていた。もし晴れたら、ND4フィルター一枚だけでは全く足りないだろうに・・・と。
そこでフィルターを2枚、挙句の果てには日食の撮影に使うND400フィルターまで持参する始末。カメラマンとして、機材の不備ほど情けないものはないからである。

さて、何だかんだ言っても腕前は大したことがないので、形だけは何とかしたが、鈴鹿のS字より速度は遥かに遅いのに、マニクールの最終コーナーであるシケインの立ち上がりは、シャッター速度が1/100でないと、どうにもならなかった。まあ撮った写真は、写真のコーナーを見て笑ってやって下さいまし、旦那様(笑)。

とここまでは天候にも恵まれ、そして日課である撮影後の一杯を飲みにスタンド横にあるビールバーに出かけた。オーストラリアのフォスタービールが、500ccで6ユーロである。1000円のビールを1分そこそこで飲み干してしまい、その勢いでサーキット内の撮影に出かけた。そしてその晩はまさかのビール漬けとなった。ビールを一本も持ってきていないのに。

実は木曜日のピットウォークの後、テントサイトまで戻ってきた時の事、どこかで見たような白地に赤の丸が書かれた物体が元も目立つトイレ横に設営されていた。明らかに白い生地に赤い丸を書いてあるので、これは日の丸なのだが、その上に英語で「TAKUMA」とある。いや、黒いビニールテープでTAKUMAと描いたのである。

実はこの旗、昨年の同じくフランスGPのあるスタンドで振っていたところ、ドライバーパレードの際に佐藤琢磨が見つけて指を刺して大変喜んでくれた代物らしい。それを態々、琢磨が出場していないと知っておきながらスイスから6名の男性がフランスまでやってきて、そして今年はスタンドで振らずに、テントサイトに掲揚してくれていたのでした。

写真を撮っても良いかと尋ねると答えは勿論OKで、挙句の果てには彼らの輪の中に引きずり込まれ、ビールまでを差し出される始末。彼らの帽子を見ていると、全員スーパーアグリチームのものでこれまた驚き。何処まで日本贔屓、いや琢磨贔屓なのかは、昨年のパレードの話を聞くと理解出来る。とにかく人間味溢れる琢磨が大好きなのだそうだ。

そして土曜日の夜は彼らと過ごす事となった。それよりも何故か彼らのテントに行くと、誰もがビールを飲み続けている。小生にもビールが途切れないで永遠に差し出されるし、良く見るとビールサーバーを設置してある。サーバーの先には銀色のタンクが並んでいる。どこかで見た光景だ。そう日本のビヤガーデンである。

話を聞いてみると、6人のメンバーの中にスイスのビール会社の跡取り息子がいるらしい。ということで彼の顔を見た。明らかに一番酔っ払っているし、かなりやばい。何がやばいかって。顔が逝っているのである。さぞかしビールが好きなのだろう。跡継ぎとしては合格だと思った(笑)。

シャワーを浴びに行くには必ず彼等のテントサイト横を通らなければならない。土曜日の夜はとにかく混んでいて、気の遠くなるようなシャワー待ちがあった。途中で諦めてテントに戻ろうとしたところ彼らに捕まってしまい、ビールを差し出されてしまった。
とにかく彼らはスイス人。流暢な綺麗な英語を話す。言葉が通じるのは、やはりテンポが良い。一杯だけにしておこうと思ったのだが、彼等と話していると、いつの間にかコップを取り上げられ、波々に注がれた「お替りビール」を手渡される。

飲むペースを落として話をするが、やはりいつの間にか注がれてしまう。その繰り返しで、結局小生もHAKAを披露してしまうほど盛り上がり、最後の夜は彼等のお陰で大変盛り上がった。
そうそう、小生の隣にテントを張っていた女の子2名もその場に居合わせていて驚いた。どうやらスイス人の彼らにナンパされたようだ。大阪のノリで話をしていたら、彼女達に「あなた面白いわね」と突っ込まれた。ビールが入ると、それだけ英語も流暢に話せるのである(笑)。しかし、スイス人、フィンランド人、日本人は英語で会話をしているのだから地球は小さい。130億光年先の銀河の話ではない。たった数万キロの間で生きている仲間のことである。

結局土曜日の夜はシャワーにあり付けず、身体を拭いて就寝となった。

さて最終日の朝、小生はテントに落ちてくる雨の音で目を覚ました。「やってもうたぁ、今回も雨か!皆さんすみません」と、結婚以来「雨男」になってしまった責任を感じていた。サポートレースも雨の中で行われていたが、すでに撮影も終了し、後はスタンドで一般市民と混じってレースを見るだけだたので、かなりリラックスしている。しかし、雨の中ではテントを片付けられない。レース後はロワールの古城見学の為に、160キロほど走らねばならなかったので、直ぐ様テントを片付けて出発の準備したいわけである。

しかし、雨はそれ以上強くならず、1時間もしない間にやんでしまった。テントを速攻で片付けて、歯を磨き、スイスの彼らに有難うを伝えるために遊びに行った。ビール代としてお金を出そうとしたが、場が白けそうな雰囲気だったので、後にすることにした。

結局彼らとフィンランドの女性2名とでスタンドへ出撃し、途中で初めての本降りを経験する。ポンチョを着て5分ほど歩いたらが、直ぐに雨も止んでくれ、そのままCスタンドの入り口付近で彼らにお別れを告げて各々スタンドに向かった。最後までビール代を出し損ねてしまった事を後悔している。

日曜日のスタンドは流石に混んでおり撮影をしないはずだったが、急遽スタンドの皆さんを撮ろうと魚眼ズームに交換しての撮影に精を出した。周りには赤いフェラーリのファンばかり。小生は鈴鹿で買ったトヨタのチームポロシャツを着ている。朝はそのポロシャツに対して隣のテント住人からブーイングを受けたが、結局ヤルノが表彰台に上がったので、サーキットを出発する時には、何か申し訳なさそうに挨拶してきた。可愛いお隣さんだった。総勢10名はいたと思う。

そうそう毎晩の寝不足が祟ったのか、小生は決勝スタート後にスタンドでウとウトと寝てしまった。イヤープラグも付けないで。やはりF1サウンドは麻薬である。あの大音響の中、スタンドに座ったまま寝たのだから。目が完全に覚めたのはレースも中盤。そこからは順位を追ってみたが、@一貴のペースが全く上がらない。優勝のマッサはやはりシケインの通過もスムースである。車が良いのは歴然である。

その時点でもヤルノが3位を走っており、スタート時にジャンプアップしたその勢いを維持していた。毎ラップフェラーリには離されてしまうが、結局地元のルノーはフェルナンドとネルソン、BMWのロバート・クビッツァ(英語発音)などを従えて3位でチェッカーを受けた。個人的には日本のエンジンが表彰台に上がってくれて満足であった。
ここに琢磨がいてくれたら100点満点だったのだけどなぁ。

とまあ長い滞在となりましたが、レース後はサーキットに乱入し、アデレイドヘアピン手前で人を撮り、その後はロワールの古城とパリが待っていたので早めに出発することにした。

しかし、最後にどんでん返しが待っていました。それはこちらのページ、最下部を読んでやって下さい。この時対応した警察官は典型的なフランス人。彼とTGVの車掌のお陰で、この旅に難癖が付いてしまいました。フランス国鉄は詐欺師の集団で、フランス警察は困っている人を助けない・・・という、どう考えても職務を逸脱しています。ディジョン駅のフランス国鉄スタッフがこう言っていました。「フランスではそんなカスタマーサービスなんぞありゃしない」って。

また先月発表された「海外旅行満足度」の項目で、最も期待はずれだった国、それがフランスだったという。小生は最初から期待はしていなかったが、それでも実際は最悪のランクに位置する。海外旅行の営業マンも経験し、現在は旅行会社を、夜間はスターウォッチングツアーも運営している小生が感じるくらいだから、こんな事を平気でしている様では、フランスはここ数年で没していくものだと推測する。

何もしなくても観光客がやってくると思っている。いやその観光客さえも鬱陶しい存在と感じているに違いない。もっと英語を話し、親切に、そして人間としてもう少し思いやりのある生き方をして欲しい。これが最後にフランス国民に向けて言いたい内容である。小生は閑散期である5月か6月にしか休暇が取れないから、唯一この期間に開催されるグランプリの中で最後まで残されていたグランプリに参加しただけである。出来ればフランスになんぞ行きたくもなかったが、この2ヶ月の間に開催されるから仕方がなかっただけなのだ。

そんな言葉を発したくもなかったが、フランスに実際に行ってみて、余計にこの国の事が嫌いになった。来年はマニクールではなくパリ近辺での開催を目指しているそうだが、サーキットも決まっていないし建設もされていないのに、何故2009年のカレンダーに「フランスGP」と組み込まれているのか、それも腹が立つ。ならばインディで優勝の常連であるニュージーランド人、クリス・ディクソンをF1に移籍させたら、ニュージーランドGPを開いて欲しいものだ。

その時は迷いもなく再度テント生活をするだろう(笑)。今度は大勢で出撃して、毎晩大音響で皆に迷惑をかけてやる(笑)。

さて次はどのグランプリに行こうかな。富士は最悪らしいし、鈴鹿は来年だし。やはリ、3月のメルボルン?でもメルボルンは撮影出来る場所が大変少なそうだし。 






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