2003年鈴鹿サーキット・その2 
 
やっとの思いで南コースへ辿り着くと、係りの方が「もしかして、その装備で駅から歩いてこられましたか?」と言った。
完全装備を見破られたようだ。明らかに車で乗り入れた人達とは井手達が違う。

早速、一泊1500円 x 2泊=3000円を支払い、テントを設営。
順調順調!そして日没。

そして疲れからか、そのまま寝てしまった。
しかし、飯も食わずには眠られない。
早速登山食を頂く。
お湯を沸かして即席ラーメンだ。ロールパンに何故かバームクーヘンも準備していた。NZにはないからだ。


翌朝の入場ゲートは最も近い「ヘアピン東」ゲート。開門が午前7時なので、出撃は午前6時。故に目覚しを午前5時45分にセットして眠りに入る。しかし、トラブル発生。
放射冷却でドンド冷える。お腹を冷やしてしまったようだ。そしてそのまま午前3時まで、7・8回のトイレ出撃となった。眠ったようで殆ど寝ていない。
しかし、「あの場所」へ走らなければならない。その為に歯を磨きながらヘアピン東ゲートへ向かう有り様。

あの場所とはいつものスプーンカーブ最遠地自由席。ヘアピン第2クリッピングを撮影出来る。小生のお気に入りであった。

開門!前にはたったの20人程しかいない。91年までの盛り上がりはなくなっているようだ。指定席が増えた訳でもなかろう。
取り敢えず、小生も男の子。39歳の少年はダッシュをかましたのであった。
が、直ぐに先頭を捕捉した。実は、殆どの皆さんがヘアピンへ向かったのだ。小生は左へ進みスプーンへ向かっている。
先頭は射程距離に入った。おじさんは頑張ったのだ。

次々にスプーンの自由席に陣取る皆さん。小生の狙う、最遠地自由席はまだ先だ。
結局、直前でお若い2人を捕捉し、そのままいつもの場所へ・・・・が・・・しかし、12年前とは違っていた。
より頑丈なフェンスが内側に出来ており、今迄のフェンス+でフェンスがある。
故に低い場所からの撮影不可能となり、結局フェンス上からの撮影となる。被写体までの距離は100mを少し越えた所だった。望遠レンズでピント合せで分るのだ。

何も知らない小生。
金曜日の朝は4チームだけしか走らないことも知らなかった。
佐藤琢磨と本山哲の2人が走る事も知らなかった。
浦島太郎とはこの事だ。NZには情報が伝わらない。

午前8時30分から2時間、本山を中心に撮り、午前11時からはフリー走行という忙しい時間に突入した。
今年はスローシャッターと超アンダー撮影の2本柱での撮影を考えていた。
今迄の写真が余りにもスナップショット的だったので、考えを変えたのだ。
まあ、依然スナップショットを抜け出してはいないのだが。

午後12時でフリー走行が終了。
午後2時からの予選はヘアピンの進入を撮影し上機嫌。指定席があった時代とは雰囲気も違うが、それにしても整備が行き届いていないサーキットだと思う。危険が至る所にあるし、子供をお持ちの皆さんは、特に注意してあげて下さい。

10月10日(金)のセッション終了後に、恒例の「翌日の撮影地捜し」をしている時の事。至る所に、花見でもするかの様なシートやござが広げてある。歩いて移動出来ない位だ。人は誰もいないのに、歩く事が困難な午後6時を経験した。
海外にてF-1を何度か観戦したが、これほどまでにルールもなければ、無法化されているサーキットを小生は見たことがない。と言うより、モラルを問いたい。
毎日がリセットされるべきなのは誰もが知っている通りだ。土曜日から参加の皆さんには、良い席が割り当たらない事になる。

しかし、翌朝には小生に直接危害が襲い掛かった。

朝の開門時間で大トラブル発生。
ニュージーランドから重い荷物を運んだ甲斐もなく、現地係員の案内ミスで、小生は計画していた撮影場所に辿り着けなくなるという事態に陥った。
10月11日(土)、この日一番開門時間が早いのは、メインゲートで朝6時30分と書いてある。次に、目的地ヘアピンに一番近いヘアピン西ゲートは30分後の午前7時だ。メインゲートの内側には、沢山のゲートが位置するのを知っていたので、午前5時40分頃に歯磨きをし終わり、ヘアピン東の係員に確認を取った。
「メインゲートが6時30分に開きますが、その後、違うゲートで止められる事は有りますか?」
答は「NO」だったので、態々南コースに住んでいる(笑)のにメインゲートまで15分も競歩で歩いたのだ。
しかし、結論は「YES」の方だった。
メインゲートまで数百メートルを並び、そのゲートをくぐったら直ぐに右に曲がり、ヘアピンに向かえるはずだった。しかし、現地係員は小生を止めた。
結局、サーキットゲートまで続く長い列となり、そのサーキットゲートの開門が午前7時なのだ。ヘアピン西と同時刻だ。これでは希望のアングルでは撮影出来ないと悟り、急遽予選で撮影する予定だった「逆バンク」へ直行した。

小生は天文もするので、撮影地の太陽光線も計算にしている。しかし、ここで狂った。朝から逆バンクとはもったいないのだ。仕方なく、完全な逆光で、絞って絞ってかなりのアンダーで撮影する事にし、極めて不本意な撮影となった。

午前11時、フリー走行終了後にヘアピン東ゲートに行った。
事実を述べると共に、警備スタッフ長とサーキット遊園地のアシスタントマネージャーも出てきた。

これだけのスタッフを取りまとめるのは大変な事だ。しかし、確認もせずに案内を絶対にしてはならない。これはサービス業で働く我々に科せられた基本的な作業なのだ。それ怠ると、この様にトラブルを引き起こす。

お詫びを頂き、駅まで送迎してくれる事で話をつけたが、もう少しスローシャッターの撮影を出来たのではないかと、今となっては諦めざるをえない。
10月や11月に鈴鹿でF-1が行われる限り、2度と鈴鹿へ行く事はないと思うが、それにしてもみすぼらしい観客席を整備して欲しいものだ。それが唯一、未来の鈴鹿へ希望する事だ。

撮り終わった写真は、撮影のコーナーにて展示中です。 
 







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