ポンペイ Pompei |
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2017年6月19日(月)、ナポリ駅前の宿で朝ご飯を食べてチェックアウト。 荷物を預かってもらってチルクム・ヴぇスヴィーナ鉄道、日本名ヴェスヴィオ周遊鉄道の始発駅まで歩いて300メートル。 8時11分発の快速電車に乗って25分で最寄りの Pompei Scavi - Villa dei Misteri 駅にやって来ました。 駅舎出口横の遺跡入場券を買っておきます。 |
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歩いて80メートルほどで遺跡の入口にやって来れます。 |
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遺跡のチケットを求める列が長く伸びています。 小生は駅前で買っておいたので即入場出来ました。 |
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この日も天気は晴れ。ギリシャから始まった旅ですが、殆ど晴れています。 6月のギリシャ、イタリアは天気が良い。 |
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右手にグリップを取り付けたソニーのアクションカムX3000を持ちながら歩いて奥に進んで行きます。 早速団体さんと遭遇。韓国からの皆様でした。 |
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早速火山弾に当たり崩れたと思われるバジリカから撮影を始めます。 元々、経済と行政管理の建物だったようです。 |
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西に進むとケンタウルスみたいな鉄像。市民フォーラムの最南端部分にある。 |
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南に20メートル移動して北を見ると市民フォーラムへのゲートがあり、その奥にこの街を破壊したベスビオ火山の姿が見える。 ずっと奥までフォーラムの建物が続いている。一番奥にジュピター神殿がある。 |
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西に進むが、相変わらずベスビオ火山を背景に入れた。 |
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南に向かいスクオーレという通りに入る。その後は通り沿いに進む。 |
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紀元前6世紀に建てられたというドリック寺院跡に来ました。 すると柵が張り巡らせてあり、中で考古学の先生と思われる方が指示をしながら発掘が行われていました。 この街は滅びたが紀元74年なので、少なくとも500年も続いていたわけです。 |
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もう少し進むと階段があり、左手に円形劇場が2つ並び、右手に広場が。 |
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74本の柱に囲まれた広場劇場だそうで、背後の円形劇場と並行して使われていたみたいです。 |
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火山弾、火砕流にも粉砕されなかった支柱は再び積み上げられている。 華やかな生活があった事が推測出来る。 |
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オデオンという小さい方の円形劇場。 大き過ぎず、かなりの人気劇場だった様子。 |
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遺跡の東端にある円形闘技場に向かって進みます。 これだけゴツゴツした石を敷き詰めた道路を、サスペンションもない馬車が通っていたのだろうが、荷物も馬車も直ぐに壊れただろうに。 |
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円形闘技場と言えばローマのコロッセオだが、ここには地下はない。シンプルなものだった。 |
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今度は北側を攻める為に、やって来た道の一本北側にある通りに来ると、これまでに最も多い人通りとなった。 どうも見所が多いみたい。 |
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大きな交差点に来たので北に進路をとった。スタビアナ通りと言うらしい。 目の前にベスビオ山が見えている。 |
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通りの北端に近付くと馬車の車輪跡が目立ち始めた。 |
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この辺りは多くの人家があったみたいで、地図を見ると「誰々の家」なんて書いてありました。 しかし火山に数百メートルだけ近いからか、、破壊された度合いが大きい気がする。 |
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南下して売店で冷たいものを飲んで休憩。さらに南下してジュピター神殿まで戻って来ました。 まさに発掘が行われている最中でした。 |
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ジュピター神殿の直ぐ西側にある出土品倉庫です。 これで水を運んでいたのでしょう。映画でも良く見ますなぁ。 |
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最後にフォーラムの中央に立ってベスビオ火山を眺めます。 殆どずっと歩き通しでしたが、何とか一周出来ました。 南口から外に出ようとしたら博物館経由となったのは何処でも同じ。 通りに出て直ぐにビールで一杯。それでも足りないので、スラッシーのレモンをすすりながら駅に向かいます。 |
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駅前にも売店があるが、ビールとスラッシーで生き返ったので、そのまま駅に向かうと、予定便よりも一本早い各駅停車に乗車してナポリに戻りました。 この後、宿まで300メートル歩き荷物を受け取り、国鉄ナポリ駅にて高速鉄道のラウンジに向かいます。 |
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